帰ってきました。 途中うろうろしてしまい、気がつくと1600`ぐらいドライブ。何度も給油するので燃料タンクの小ささを実感。今回初めて明石海峡大橋を渡ったのだけれど、これは大きい、ハンパない大きさ!そういえば、子供の頃"四国に橋を渡してはいけない、地続きにするとそこから四国に閉じ込めてある「死」が本土に渡ってくる"とよく聞かされていたが、今は三つのルートが存在している。よく考えてみると、こんなスゴイのをよく三つもつくりましたねー。
四国の高速に乗るのも生まれて初めて。子供の頃はよく中四国フェリーで四国に渡っていたが、とにかく四国は道が悪くて大変だったような記憶があるのだけれど、高速も下の道も綺麗な道が沢山出来ていた。温泉は松山の道後温泉に行きました。道後館という温泉宿に滞在したのですが着物を着た若い女中さんがお部屋まで案内してくれて、お茶まで入れてくれます。窓からは道後の町が一望でき、折角なので女中さんにいろいろ聞いてみました。
「こちらの窓からは街が一望できますよ」
「わー、夕日が綺麗ですね。向うのは松山城ですか?」
「ですよー。夜になるとライトアップされます」
「あっちの観覧車はなんですか?遊園地とかあるんですか」
「(笑)いえいえ、残念ながらそれはありません。デパートの屋上に観覧車が出来たんですよー」
「あ。大阪にもあるよー」
「小さい町なので地元の人のランドマークになってますよー。今日はお仕事ですか?」
「いえいえ、こんな時期ですが夏休みなんですよ。馬車馬のように働いているのでたまには御褒美が必要です」「(笑)それはいーですねー。週末とかはすっごく混んだりもしますが、今日はお客様は特にごゆっくりいただけると思いますよー。あ、浴衣出しておきますねー、サイズはこれかなぁ?それともこっち?こっち?」
「えーと・・・いや、適当にしますので」
「(笑)そーですか。それでは何かありましたら内線0番で通じますので」
そーいえば、突然思ったのだけれど、わたしは旅先でくすくす笑われることが多い。なぜだろう。。。
温泉は他の宿泊客が少ないこともあって、ほとんど貸切状態。嬉しくて嬉しくて何度も入ってしまった。途中一度だけ他の団体客が入ってきた。耳を傾けて見ると「品管が・・・」「ソリューションが・・・」とお仕事のお話しをしている。製造業のひとかなーとおもっていたら、あとで、宴会場を通りかかったときに某自動車メーカー様御一行でした。
ちなみに温泉内には、掃除担当の女中さんが常駐しており、脱衣場や洗い場を常に綺麗にしていた。行き届いているなぁ。せっかくなので、メイド服とかを着てやって欲しいなーとか、中学生ぐらいをバイトで雇ってセーラー服+スク水とかでやってほしいなーとか、そんなことを考えながら湯船につかっていました。・・・この調子で書いてくといつもの旅行日記みたいになっちゃうねw
翌日は、佐多岬を経て四万十川に向かい、しまなみルートを経て実家に帰ります。実家ではいろいろと用事を済ませて、その合間に江田島の海上自衛隊第1術科学校や呉の大和ミュージアムに行って来ました。とある事情によりちいさな頃に自衛艦や魚雷艇によく乗っていたわたしは、江田島で特殊潜航艇や海岸の砲台などを見た記憶があり、それを確かめるために再訪するのが今回の目的です。記憶では、戦時中に江田島を要塞化した際の砲台だと思ってたのですが、戦艦陸奥の主砲搭をおいてあったのですね。あと、回天だと思っていた特殊潜航艇は海龍と甲標的でした。ちなみに特注潜航艇とは海中で飛行機のような機動を行うことを目的として開発されたものと聞く。ちなみに大和ミュージアムには回天が展示されてました、あと零式も。まったく下調べをしていなかったのでちょっと嬉しくなってしまった。
ちいさな頃の話が多くて恐縮だけれど(w)、遠足とかで行く近くの島には当たり前のように太平洋戦争の航空機がおいてありました。当時は展示というか野ざらしになってて、よく操縦席や翼の上にのって遊んでいたものです。現在は毒ガスの島ということになっているけれど、当時は廃墟がひろがってて、それはそれは不気味な場所でした。
展示物を見ていると、子供の頃にさんざん刷り込まれた戦争の話とかがよみがえってきて本当に泣きそうになってしまい・・・なんなんでしょーねw
夏休みももうすぐおしまいなのですが、寒暖の差が激しくてちょっと風邪気味です。
皆さんもお体にはお気をつけてください。ではでは。