3人組くらいが丁度いい。2種類の料理を日変わりばんこに食べ続けるとすぐに飽きてしまいそうだけれど、3つだと結構つづきそう。きっと3つ目にさしかかったときに一つ目を忘れてしまうに違いない。
『宇宙のランデヴー』(アーサー・C・クラーク)には何事も3つひとくみにしないと気がすまない、といわれるラーマ人の存在が出てくるが、こういうポリシーはある意味宗教的なものだろうか。3つまで、というお約束のもとにいろいろな出来事を決めるとか、物事を3つにわけて考えるような方法論など、ひとつの規則性はそれに支配された世界で論理的思考を可能にするという自説。プログラムを組む際にもこういったポリシーワークはとても効果的だ。何かを決めなければならないとき、例えば"引数は3つまでとする"とか、そういう指標を持つことで作業は効率的に進むようになる。無数の選択肢から解を得るための法。
・・・話が急速に反れてしまったが、話を元に戻そう。
例えばお話にトリオの女の子を登場させるとしよう。連載ものならば、まずは出会いの話、それからそれぞれの女の子に交互に焦点を当てながら話を進めるとか、そういう展開がお約束となる。人の社会性というのは3人から生まれるといわれ、喧嘩したり、仲直りしたり、助け合ったり、3人で何かを始めたりと、"3人の社会の誕生"から"社会の成長・成熟"を経て"社会の崩壊"とたやすくプロットを考えることも出来る。
だがしかし!だまされてはいけない。こうした常識や規則に従った行動選択は思考停止に他ならない。なぞらえる行為は居残りの漢字200字書き取りとなんら変わりないのだ。あえて方法を捨て、自分で考えることが肝要。例えその結果が参考書に書いてあるとおりの結果になったとしても。トリオの女の子が主人公のお話で、長い連作短編物語のなかでただの一度も、ただの一度も焦点を当てられない少女がいてもいいではないか。
ところでハルヒのエンドレスエイトはいつまで続くのだろう。先週見逃してしまって慌てたのだけれど、まだ大丈夫だった。こうなったらいつまでも続けて欲しい。というか作るほうが辛いのではないか、とも思う。思うが、ある意味この展開は痛快だったりする!します。