え、えーとえーと。ワイルドファンシー部です。連日の激務に胃も肝臓もやられ真夏の熱気に当てられてこの際地獄の最下層コキュートスの冷気でもいいしわたしにッ!と思っていたら実は図書館で寝ていた間に見ていた夢でした、ということで実はまだ中2だったわたし。あれから夜寝るたびに大人になってお仕事に追われる日々の夢を見ているけど、夢ならまあいいや。
今日は、8月6日。夏休み始まって始めの登校日だ。土地柄平和教育の一環も兼ねている。この頃は全国的にこの日は登校日だと思っていたのだが、実はそんなことはなかった、ということを知るのはずっと後になってからだった。
「なんだか久しぶりだね、一緒に行くの」
「いやだった?」
「えっ?ううん!!そんなことないよ!ないの!」
慌てて首をブンブン振る恵。
「…だってほら、"女の子と一緒に登校するの恥ずかしい"とかいってたし…」
「うーん、そんなこと言ってたっけか…。恥ずかしいって云ってるヤツのほうが恥ずかしいよな実際。そんなの気にするのかえって変じゃん。気にすんなって」
「んもう、気にしてたの、こーちゃんのほうじゃない!へへ…なんか嬉しいな」
「何が?」
「なんでもないよ!ほら、今日は田んぼ道通ってこ!風吹いててきもちよさそう〜」
そう云って駆け出してく恵。
言われてみれば中学に入ってからは周囲の目を気にして学校では恵を避けるようになっていたかもしれない、と思い出す。本当に何を気にしていたんだろう、子供の頃からの無二の親友なのに。ケンカもよくするけど、訳もなく疎遠にされちゃうと凹んじゃうもんなー。
教室に入るとひどく懐かしい顔が並んでいた。ヤバイ名前が思い出せない。てゆーか、子供すぎる。仲のよかった数人が休み中の話とか、TVの話を降ってくるがここ最近の出来事はまったく思い出せない。ので、適当にやり過ごす。みんなテンションが高すぎてついていけない。この頃ってこんなだったっけか。うわ、机と椅子がちっちゃ!すわれるのかコレ、ってゆーかオレの席どこだっけ…。
「アンタ、休み中になんかあったの?」
「えっ?…いや別に。にしても暑いよな。お前こそ体調とか気をつけろよ」
「は?…ん…えーと、その」
突然隣席の女子から話しかけられ、とっさに名前を思い出せず適当にごまかすも、その応対が不自然だったのか、その娘はなんともいえないリアクションだった。やば、気をつけないと…ってか何に気をつければいいんだろう。
エアコンなど存在するはずもない学校の教室、講堂は地獄のような暑さだったが、登校日のカリキュラムは粛々と進み、まもなく下校を迎える。懐かしい級友もそうだが、今は亡くなっている人も多い先生の顔が懐かしい。しかも若い先生などは皆わたしより年下(夢の中の自分から見てだが)、なんだか不思議な気分だ。仲がよかった先生とは思わず話し込んでしまったが、しばらく話すと怪訝な顔をされるようになり、慌てて退散する。そうそう、今日はなんとしても恵と一緒に帰らなければならない。一緒に帰るだけであの事故は回避できるだろう。
急いで鞄を取りに教室に戻る。恵の教室は二つ隣。あの日委員会のため少し遅くまで残っていた恵。教室に戻ってくるころにはまだ間に合うはずだ。鞄を提げて教室を出ようとするとクラスのグループの一団が行く手を塞いだ。
「これからみんなで東んちでお好み食べようって話になってんだけど」
「そうか。あの店のお好み焼きは絶品だからな。それじゃあ、よい休暇を」
「オマエも行くんだよ」
無邪気なクラスメートの笑顔がオレの行く手を阻む。手にした鞄が別の娘にするりと奪われてしまった。この年代の子供たちのコミュニケーションに相手の是非を問うような寛容さはないのかもしれない、などと思い出す。
「どうせやることないんでしょ。行くよ!ほら鞄あずかってるから」
「あ、えーと。その、なんだ。ごめんな、今日は無理なんだ。埋め合わせはまた今度するから」
「なんでよー」「つまんねーな」
あからさまな不満顔。判りやすいというか駄々っ子というか、諭すような口調がまた気に入らなかったのかやや険悪なムード。論破してやってもいいが久しぶりに会ったみんなとケンカするのも実に面白くない。従うそぶりを見せて隙をつくりダッシュで抜け出す。
「鞄どうなってもいいの!?」
「新学期まで預かっててくれよな。じゃあ」
いかん。余計な時間を食ってしまった。急ぎ恵の教室に向うが、そこに姿はなかった。まだ、校内に残ってるのか?迷っている時間はなかった。
(今朝のこーちゃん、なんか変だったな。…でも嬉しかったな)
恵はぼんやりと考えていた。帰りも一緒に、なんていうのはちょっと期待しすぎだろうか。委員会の集まりでタイミングを逃してしまったこともあって、一人とぼとぼと家に向っている。
(そうだ、時間もあるし帰りはすこし遠回りしてかえろう)
学校を出て南に向うと、低地に広大なブドウ畑が広がる。その昔塩田だった部分を埋め立てて造られたという話を小学校の社会の授業で習った記憶がある。その塩田のための古い建物がブドウ畑の中に点在して残っていて、緑の海原のなかにぽつぽつと煙突が立っているというちょっと面白い風景がそこにはあった。その中を歩くのが恵は好きだった。やがて、ブドウ畑のなかを突っ切る線路が現れた。線路を横切る道は細い。ちょうど向かいから荷物を沢山積み込んだおばさんの自転車が近づいていたので、手前で自転車をやり過ごす。「あついね〜」と会釈をしながら笑顔で踏み切りを渡ったところで、道端に先ほどの自転車からこぼれ落ちたと思しき包みを見つけた。拾って振り返ると踏み切りの向こうによたよたと必死に自転車をこぐ後姿が見えた。あわてて後を追う恵。
警報機の故障。
安全のため二重化されている踏み切り警報機の回路がこのとき二つとも故障した。警報機は電車の接近を正しく知らせてはくれなかった。
今の時代のように、企業責任を厳しく問う風土も未だなかった。警報機が故障していたという事故と、踏切を渡る際に安全確認を怠った本人の不注意、ということ、学校帰りの寄り道などということもあって"かなしいお知らせ"としてわたしの中学二年の夏を黒く染めた。踏み切りに現れる幽霊の噂は鋭利な刃物のようにわたしの心をえぐり、幽霊をもとめて夜中に幾度も踏み切りにやってきたこともあった。
事故のあと真新しい警報機と遮断機が設置された。まるで何事もなかったかのように…。