久しぶりに帰省しました。21世紀になって初めて(笑) #といっても百年とかぢゃないのだけれど。新しく出来た道路、建物や、なくなった町並みを見て、数年も経てば街も変わるのだなあとつくづく実感。というか変わりすぎだろう、これは。田んぼの真ん中だったところに新しい街が出現し、かつての街は空家や空き地が増えていたりと、竜宮城から帰った浦島太郎の気持ちが少しはわかったような気がした。 かつては毎日のように通った図書館や本屋へと足を運んでみる。 図書館の本はこの10年でほとんどが入れ替わっていた。子供の頃、読み漁っていた少年少女SF文庫も姿を消し、当時は本屋にも並んでいなかった"宮部みゆき"のコーナーが館内に出現しているあたりなぞ、年月を感じさせる。無論当時仲良くしていた図書館司書のお姉さんも今はいない・・・。かつて自分が借りた本を探してみたが、館内をくまなく探しても当時の本を見つけることは出来なかった。見慣れた間取りではあるが、まるで全く別の場所にいるような錯覚を禁じえない。本屋。当時はほぼ毎日のように本屋をめぐっていた。がしかし当時の本屋はすべて店を閉めているか、他の場所に移転をしていた。移転先へと足を運んでみると、当時と同じおばさんが店番をしている。そしらぬ顔で店内に入ってみたが、目ざとく『あら、くーるんさんぢゃない?』と見つけられてしまう。 #注:"くーるん"はネット上のハンドル名であり、本名ではありません。為念。話をするのはこれも10年以上ぶりであるが、近況など話してみたり。商店街の本屋さんというのは、昨今の大型店舗進出や、コンビニによる雑誌販売、インターネットによる購入などにより厳しい状況にある模様。いろいろ大変そうだ。とはいえ、当時一介の高校生であった私にこうしていろいろと話をしてくれるというのはなんだか嬉しい。 #まあ、手にしたお金の大半を本屋につぎ込んでいたという事実も無視できないのだが・・・。 本屋さんのおばさんを除き、街はすでに見知らぬ世界と化していた。また、町全体が小さくなったように感じる点も面白い。とはいっても単純に街の規模が小さくなったという意味ではなく、道や建物が縮小したように感じる。 自分の記憶では、出来たばっかりのぴかぴかの概観しか記憶にないものが、今は色あせ・さび付き・あるいは廃墟と化しているさまを見ると、正に"数日を経ずして荒廃という名の時が訪れた"といった感じだ。いや、実際には、数日ではないんですが(笑)広島はこちらと比べて気温も下がっており、スッカリ風邪をひいてしまった。小さい街なので、平日からあまり外をぶらぶらとする訳にもいくまいと、こちらへと戻ってきたが、いつの間にか静岡も寒いと感じるようになっていた。 帰省するたびに思うのだが、あちらとこちらでは何事においても激しくギャップがあり、まるで夢を見ているような感覚に陥る。そこには過去の自分と今の自分とのギャップがあるわけで、とにかく自分も変わったんだなあと、深く考えさせられる、季節外れの里帰りでした。
No.128-349
NAME : ミリオン MSIE 6.0 / Win98
TIME : 2003/10/23 (Thu) 01:56
この書き込みの前日に、ちょうど昔住んでいた所に行ってきました。といっても、まだ3年くらい前の事ですが。 駅が信じられないほど小さかったりという寂しさなどを感じて来て、このノスタルジィな思いで書き込みでもするかと思っていたら、なんか思ったこと感じたことを、あらかたくーるんさんに書かれていたので、ふて寝してました。県内だし、書店のエピソードに匹敵できる事もないし(笑) 私も通った書店がありましたが、だいぶ前に、野菜の即売所になってしまっているのです。
No.128-367
NAME : 九竜☆くーるん HOME MSIE 6.0 / WinXP
TIME : 2003/11/02 (Sun) 23:59
> ふて寝ううっ、是非ミリオンさんの感想も拝見しとうございますっ(つ´д`) しかし、あの縮小感覚って何なんでしょうか。1/8計画!?人間の気持ちによって時間だけではなく、ものの大きさ、色なんかも変わるっていうことを知る必要があるですね。 ノスタルジイというのは、私のこころを捕らえて離さない麻薬のような感傷です(笑)。藤子F不二夫の『ノスタル爺』という短編があるのですが、話のなかで主人公は郷愁と自身の運命を引き換えにするシーンがあります。おそらく、小学生時代の自分にはこのシーンはよく理解できなかったものと推測できます。あるいは、怖い話としてトラウマに残ったかもしれません。しかし、今この話を読むと、その当時、まったく見えなかったものが見えて、驚きです。 子供の頃はお店に並んでいるものは永遠にお店にならんでいると思っていました。『今は買えないけど大きくなってお金を儲けるようになったら買おう!』ところが、大きくなったらそのものは既に世界の何処にもない、なんてものもあったり。そう思うと、今のこの瞬間も大事なんだなあなんて(笑)いや、あたりまえのことなんですが。 廃墟探索ってちょっとネタになっていましたが、私が廃墟を見て思うのはそんなことだったりします。写真家(?)丸田祥三氏の「棄景」はそんな私の琴線にびんびんと共鳴ですっ! 『日本風景論』http://www.shunjusha.co.jp/book/33/33193.html
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