今朝とうとう布団から出るのがつらい!と思ってしまった。もう、そういう季節なんだなあ。通勤の車のなかでラジオを聴きながらふと思ったこと。ハガレン(※1)のDVDのCMでしたか、「DVDBOX今ここに練成!」とかいうのを聴きながら、錬金術師ってDVDも練成できるんだろうかと。
DVDが練成できるってことは、オリジナルなアニメなんかも思いのままに作り出せるってことかな。まあDVDはちょっと飛躍しているかー。では例えば本はどうなんだろう?練成できるのか?
小説とか、漫画とか、思いのままに練成できるんだろうか?それってすごいなー!せっせと字を書いたり絵を描いたりする手間隙もかからず、一気に作り出せるなんてなんて高生産性なんだろう。しかし、それってなんとなく無理っぽい気もする。(そもそも一瞬でそんな物語とか絵とかも思いつけないだろうし、ネタも浮かばないだろう(笑))
上記のように物語やダイアログのような一般的な情報の例を挙げると、練成の難しさが良く分かる。だがしかし、元来物質とは気の遠くなるような数量の原子を一定の規則にしたがって配置したものであり、自在に望みのものを作り出すとなると相当の情報処理能力が必要となる。鉛を金に換えるのはまだ簡単な方であるが、鎧や剣を練成するのはかなりのテクニックであろう。
作中にはさらに人体練成というものがでてくる。生き物を作り出す禁断の術だ。無機物の練成と違い、その複雑さは比ではないだろう。
そんなことを考えていると昔読んだショートショートを思い出す。
確か、天体観測をしている若者が空から落ちてきた隕石の直撃を受けて、頭の真ん中に隕石が埋め込まれてしまったという出だしで始まる。隕石の直撃を受けても主人公は平気なのだが、その隕石(=宇宙の神秘)のせいで、主人公は不思議な能力を身につける。それが、『思ったもの考えたものを作り出す力』だ。
主人公はその力を使っていろんなものを創り出す。まさに練成である。ところが、この能力には制約があって、自分でも良く知らないものは完全に創り出せない。例えば、TVが欲しいと思って出現させるが、外見は良く出来ていても、TVの仕組みや内部構造が分からないので、中身がすっからかんの物体が出現する。おなかがすいたのでケーキを出すが、ケーキの成分を知らないので、外見はケーキでも食べられない。
そこで主人公はいろいろなものを勤勉に勉強し、物体を正確に復元することに執着しはじめる・・・
そのうちに能力が暴走し始め、物体から生命の創造へと話は進んでゆくのだが、いかんせん子供の頃読んだ本なので、内容が思い出せない。
ハガレンの主人公の兄弟も国家錬金術師になるために一生懸命勉強する姿が描かれているが、これはきっと練成する対象物の正しい知識を詰め込んでいるためではなかったのか?なるほどーとか、そんなことを考えながら今日も一日の終わりですw
※1:ハガレン=『鋼の錬金術師』というコミック。錬金術師の若き兄弟が(・∀・)モエモエというお話。