西洋の古い石造の建築物をそのまま利用した古色蒼然としたホテルに泊まりに来た。エントランス周辺の町は東西南北の文化が入り乱れ雑多に発展しそのまま衰退したような景観で、その中にそびえたつ古典的幾何学のようなホテルの主塔はまるで戦災で奇跡的に破壊を免れた建物、もしくは高度成長期の建築模型のようだった。基部に入るとまるで迷路のような複雑な構造で、フロントで告げられた218号室を見つけられず地階とグランドフロアに広がる地域の街区と一体化した商施設兼廃墟をさまよう。海岸にそびえる堤防を打ち付ける波、階段を上がると緻密な模型艦船が機動する古い噴水池と遊園地の廃墟が目に入った。騒然としているがその実緻密に並べられたがらくたに興味を魅かれるも、218号室を探すべくエントランスに引き返す。その入り口の窓のないショーウィンドウに塗装もされていない工業白色のマネキン型アンドロイドがこれまだ工業白色の地面に置かれた巨大なフライパンとカブトガニなどの海産物を並べて口上を繰り返している。「いい感じに炙りあがっておるわい」かつてこの地でとれる海産物を炙って供することで財を成したという、このホテルの創始者一代目炙り屋の逸話を繰り返していた…。
という夢を見た。
というわけで『ブレードランナー2049』を観てきた。尺が長いということでいろいろと覚悟して行ったのだけれど結論としては時間のたつのも忘れて見入ってしまった。
前作『ブレードランナー』は著名人の好きな映画にも挙げられているというバックボーンもあって様々な考察もされているらしいが、このころは『E.T』や『ランボー』、邦画では『転校生』ぐらいが話題、SF映画だと『物体X』や『ファイヤーフォックス』『トロン』などが取り上げられていたように記憶している。当時はやりものをすぐにゲーム化していたマイコンゲーム界でもトロンなどはすぐにゲームになってたと記憶。では『ブレードランナー』の何がマニアに受けたのかというと大きくはそのガジェットにあるのではないかと思う。レプリカントとブレードランナーはいわずもがな、ブラスターやスピナー、フォークト=カンプフ・マシンなどハイテクと退廃が混沌とする未来都市像と一体となって"それまで誰も見たことがない"未来世界を映像化していた。
当時は輝かしい未来ユートピアの時代から、世紀末に向かって人類滅亡という社会的風潮が根底にあり、実際に人類滅亡後の荒廃した未来世界(例えば自由の女神の廃墟など)が描かれることもあったわけだが、荒廃した未来とハイテク(科学技術の想像を超えない範囲での伸長)が混然一体となった世界観が非常に新しかった。未来の技術は進歩しすぎていて今の人にはわからないというある意味手抜きの未来技術の手法から、地に足の着いた未来技術の表現が使われ始めた時代だったように思う。映画を製作する技術の進歩が大きくかかわっていることも無視できない。
こうした要素といくつかの間違いによってわかりにくくなってしまったストーリーと映画の雰囲気に若干そぐわないキャストが合わさり、ちょっと変わったものに価値を求める層に長く刺さる作品が誕生した。