TOOL CanvasSize x  Palette  AnimeSave
 

Skin

編集モード

編集するメッセージのチェック、または番号を指定して下さい。
番号 パスワード

 
No.173 人類滅亡的シナリオ
NAME : 九竜☆くーるん / TIME : 2026/07/24 (Fri) 23:31
BROWSER : Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64; rv:153.0) Gecko/20100101 Firefox/153.0
    
★Continue

IMG_000173.jpg ( 130 KB ) by Upload 7月あたまちょっと過ごしやすくて「今年は暑くないのかな?」なーんて油断してたけどきっちり暑かった。連日酷暑日が続いていて新しく作った甲斐もあるというもの。
例年なら夏になるとどこにも行く気になれず日々の買い出し以外の外出はなくなるのだけれど、今年は5月から「積極的に未知を体験する」活動を続けているので毎週どこかしら外出している。今週は『福井県年縞博物館』に行ってきた。年縞とは、湖や海の底に退席した土の層が描く、一年周期の美しい縞模様のこと。
日本海にほど近い三方五湖のひとつ水月湖の底では年縞が作られている。年縞ができる条件には水の状態などいろいろとあり、水月湖から採取された45メートルにもおよぶ年縞、実に七万年分!!博物館にはこの7万年分の年縞が展示されていた。
七万年前といえば人類がアフリカを出発して世界へ広がり始めたころ。文字通り人類史上が一年単位で記録されている縞模様に圧倒されてしまう・・・。1000年は1メートルにも満たない・・・この縞模様を見ていると西暦などわずかな時間でしかないように思えてしまう。そして、割と頻繁に温暖化と氷期を繰り返す地球。数万年周期のミランコビッチ・サイクルだけかと思っていたが、ダンスガード・オシュガー・サイクル(温暖化と緩やかな寒冷期の周期)やハインリッヒ・イベントなどの気候変動現象が頻繁に起きていて、そのたびに酷暑になったり凍り付いたりしている。氷河期になると氷棚により海面が下がって地続きになり、この間に人類は別の大陸に渡ったりもしている。
地球のサイクル的には今は寒冷期に突入してもおかしくない時代だそうだが、人類活動による温暖化が皮肉にも寒冷化を抑制しているという説もある。地球規模の噴火イベントも多く、年縞にも火山灰のオビが残っている。こうしたイベントがひとたび発生すれば地球全体の食料生産能力が低下するため、人類文明は危機的状況をお迎えしそう。
恐ろしい事実を目の当たりにしつつも、こうした七万年を生き残った人類に感動する。なお、七万年前には人類(ホモ・サピエンス)以外の人類?も存在していた。巨人や小人などの人類がいてもおかしくない世界だったのかも。
最近の研究では原始的な世界も存外に文化的だったり、幸せな世界だったことも分かってきている。45メートルの年月の積み重なりにどんな物語が詰まっているのだろう。ちょっとしたタイムマシン体験のような時間だった。

人類文明の危機的状況といえば、80年代には『マッドマックス2』『ラストカーチェイス』などの化石燃料の終焉が描かれた映画などがディストピアとセットで良く描かれていたが、最近はこういうのは作られないのだろうか?現実がディストピアっぽくなってしまったからかな。石油枯渇=世界の終末で、社会が荒廃すると暴走族が跋扈するとか80年代は暴力の支配する世界だった?・・・今風ならば供給の停止かな、”SNSが停止する日”とか"コンビニの終焉"とか?・・・うーん、現実になりそう。

『MillenniumHeresy』二巻、文と絵が半々と言いつつも、絵の作業で八割以上を占めており絵作業の毎日。予定通りに進捗しているので11月には校了できそう。
二回目となると編集&入稿データ作成の不安も無くて去年よりは心の余裕がある。文学フリマ京都は次回から入場無料ではなくなるみたいだけど、どんな感じになるのだろう?
自分も見て回りたいので持ち込み部数は思い切って減らしてもいいかも。
というわけで7月も愉しんでます。

 

 
No.172 『バルサスの要塞』再購入
NAME : 九竜☆くーるん / TIME : 2026/06/21 (Sun) 18:39
BROWSER : Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64; rv:152.0) Gecko/20100101 Firefox/152.0
    
★Continue

IMG_000172.jpg ( 509 KB ) by Upload AIでプロフを美人漫画に変えてみる。こうしてみるとプロフ画像は大事なのかも。
今のは「古在ユキ」というオリジナルキャラクターのものだけれど、改めて自分のアバターとなるアイコンを設定すべきなのかもしれないし、そうでもないかもしれない。

『バルサスの要塞』もう一度読みたくなって再購入してしまった。
出版なんと40年前!永らく実家に置いてあったのだが処分されてしまったみたい・・・。
アドベンチャー・ゲームブックの第二作だが、初めて買ったゲームブック。前年にHJからトラベラーが発売されたばかりで「ソロでTRPGができるの!?」という底知れぬワクワク感とともに本屋に走った記憶があったりなかったり。ファンタジーアドベンチャーなのだけどモンスターを妖怪と訳している辺りに時代を感じる!ドラクエもまだ世の中に無かった頃、サイコロと鉛筆を用意して読み進め、選択肢を選んでページをめくる・・・このアナログだがシステムが走る感覚、面白い!
いまはそんなブームがあったことすら疑わしいが、かなりの数のゲームブックが出版されていたように思う。しかし、このフォーマットは結果的に生き残れなかった。なぜだろう?考えてみる。まず、本格的なやつはシステムが面倒くさい。ステータスや魔法があり、サイコロを振って判定する。文章を読んで世界に没頭しそうになっても、ここに引き戻される。
ここで読者が淘汰されるのではないか?これに対し、逆にシステムを極限まで簡略したアドベンチャー方式(今でいうところの選択肢付きノベルゲー)も出現したが、これは分岐した先のそれぞれのシナリオをそれなりに面白くする必要がある。あるいは、分岐を間違うと即死という雑なものも登場したが、これは楽しくない。分岐を選ぶ意味がない。こうした制作コストとニーズのアンバランスが、この世界のプラットフォームがパソコンに移ってしまった背景なのかもしれない。このステータス&パラフラフ方式のフォーマットはこれ以上進化しないのかな?シナリオとシステムの分業と専門化が進み過ぎて、工業の域に達した?


No.172-209 NAME : 九竜☆くーるん   Firefox 152.0 / WinNT
TIME : 2026/06/21 (Sun) 18:40
・・・こみあげる思い出のあまり、著しく脱線してしまったが、昔の本を懐かしさだけで再購入したわけではない。
もはや記憶すら霞んでいるが、間違いなく当時の自分がわくわくして手にした本。これを再び手にすることで、かつての自分が好きだったものを観測することができる!
そこには「今も好きなモノ」「今はそうでもないモノ」あるいは「今はもっと好きなモノ」が混じり合っているに違いない。川底の砂金を探し当てるような知の発掘なのです。

もしかして、いま部屋に林立している本棚も「川底」なのかもしれない?(何時から入ってるのかわからない雪見大福が発掘される冷凍庫は違いそう・・・)気が付けば、積読や一度しか読まない本も散見され・・・積読ってなんなんだろう?積みゲーもあり、なんなら積みDVDもある。これに何の意味があるのだろう・・・調べてみる。ふむふむ、罪悪感の具現化せしもの?いやいや。もっとポジティブなのあるでしょ?あった、本を読むまでの熟成期間、ワインみたいなものか!あるいは、その本があるだけで、本の内容に対する期待値が得られる・・・現実逃避の極北か!?とにかくなにかプラスとなる影響も評価されているような、苦しい言い訳のような。
パソコンの中に埋もれている数多のデータファイルなども、本棚に似ている。なんでもかんでも蓄積し、メモしたものを残している。これらは一種外部記憶みたいなもので、ここに蓄積されているだけで、自分が保たれるみたいな「安心感」すら感じてしまう。かつて職場でノートPCがクラッシュしてそういうパーソナルな業務地層がマントルに飲み込まれたみたいになった人がいたが、しばらく魂が抜けたみたいになって辞めてしまった。別に電脳化する未来の到来を待たなくとも「自分」を外部に分散して構築することは可能なのかもしれない。ひょっとすると人はずいぶん昔からそういうことをやってきたのかも。書斎しかり、学府しかり。だから物が詰まった部屋をみると、何か幽霊を見たときのようなぞくぞくする感覚が湧き上がってくるのかもしれないです。情報が集積し何らかの志向で分類されている「場」っていうのは、それ自体が知的生命なのではないか、本屋や図書館に通うという自分の趣味を「趣味はブレインダイブですッ」って言ってもいい?(笑)

思えば、これって今のAIかも。いろんな情報を詰め込んでつないでいる「知層」。
最近ではWeb検索からしてすでにAIが回答してくるので、もはやネットを歩くのにAIと不可分ではいられなくなっている。
でも、AIには「知層」というより、21世紀に登場した、PCの中の同居人みたいな存在を期待する。ある世代の共通無意識の中には優秀な避暑として主人公を支えるメイドの姿をした人工頭脳がいるんじゃないか、とさえ思ってしまう。

『バルサスの要塞』を「知層」となった本棚に収めながら、途中になってた蔵書リストの続きをやらなきゃ、と思い出しました。
蔵書リストができたら、AIにも見せてやろう。
AIはそういう存在でいいんじゃないかなー。

 

 
No.171 五月が夏の境界を越える!?
NAME : 九竜☆くーるん / TIME : 2026/05/30 (Sat) 18:46
BROWSER : Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64; rv:151.0) Gecko/20100101 Firefox/151.0
    
★Continue

IMG_000171.jpg ( 134 KB ) by Upload 気が付くと5月も終わりそう。「千年魔道」進捗順調と思ってたけど、月日が経つのも順調だった。
今年は夏日が来るのが去年よりも早いような気がする。去年も早いと思ってたけど、このまま白亜紀ぐらいあったかい地球になってしまうのだろうか。

5月ということで、今年も連休を取って旅行に行く。昨年途中で断念した信州にリベンジ。
なお"毎日がお休みでは?"というツッコミもあるかもしれないが、一応週休日以外は計画に従って作業する毎日で在宅ワークみたいな感覚。週休日は家事や休息に割り当てられており、連休は計画的に設定している。

此度の旅は、木曽路の宿場町、諏訪湖、ビーナスライン、松代(『世紀末オカルト学院』の舞台へ)、善光寺参り、オリンピック道路から糸魚川に抜けて、フォッサマグナ、旧親不知トンネル散策、高岡でブラックラーメン、という往路中山道、復路北国街道の工程だ。恥ずかしい話だけど、今回、中山道とか北国街道とか東海道以外にも昔から道があって、遥かな古代から人々は日本全国を行き来していた、という事実を初めて実感として知る。

『ゆるキャン△』にも登場したビーナスライン霧ヶ峰。かつて来たこともあるはずだが、全く記憶にない。スカイラインのドライブ、楽しすぎる!松代では象山地下壕に入る。想像してたよりもずっと広かった。ひんやりして夏は快適そう。旧松代駅跡地は、『世紀末オカルト学院』でも印象的な場所だったが、なんというか風化(!?)しつつある感じだった。アニメの聖地も時とともに風化していくのだと実感。行けるうちに行かねば。

「一生に一度は善光寺参り」の実績解除。お戒壇巡りはなかなか味わい深いものだった。修学旅行でくる学生もいて「The観光地」なのだと実感。5月ということもあり長野市はとても住みやすそうな町だった。住みたいかも。味噌ソフトクリームも食べる。

糸魚川に向かう途中、白馬村を通過。かつてはスキーで来たこともあったはずだが全く記憶がない。かつては賑わっていたのだろうが。ここも年月の経過を感じずにはいられない。

フォッサマグナミュージアムでは『瑠璃の宝石』のミニ企画展示をやってた。糸魚川は姫のまち、というキャッチコピーはいい。ぬーな姫も初めて知った。

旧親不知トンネルは、かつて蒸気機関車が走っていたトンネルを遊歩道の一部として歩ける。なかなか急な山道を登り下りするが、このどこか恐ろしげな近代化の遺構をあるいて楽しめるのは素晴らしい。説明する看板では「ぬーな姫」が説明していてかわいらしいと思った。

かつて仕事できたこともあるような高岡。駅前のホテルに宿泊したがスーパーが駅前に見当たらない(ネット検索すると「駅前からスーパーは絶滅しました」とでてくる)。折角なので高岡ブラックラーメンを名物のコロッケとともにいただく。肉体労働者には最適のご飯。そう、高岡は産業・モノづくりのまちだった。


No.171-207 NAME : 九竜☆くーるん   Firefox 151.0 / WinNT
TIME : 2026/05/30 (Sat) 18:46
これまでも日本各地を旅しているが、今回の旅はずば抜けて楽しかった。それは、宿泊した夜にAIと「今日見たもの」「明日行く場所」について壁打ちをしたせいかもしれない。
お陰で、いろいろなエピソードを知ることができ、なんだか「修学旅行」みたいな感じだった。自分の性格を把握し、メイドをロールをプレイしつつ、季節や天気に応じて、おすすめの場所や食べ物などを提案してくれるのも、旅行ガイド本などを遥かに超えたインタラクティブなパーソナル専用ガイドだった。旅行先のホテルでは平日ということもあって旅行よりも仕事で来ている人が多いなーと感じたが、そういう話をAIに振ってもちゃんと説明してくれるところがすごい!
いつもはちょっと鼻につく「寄り添いアルゴリズム」も、旅行気分盛り上げにはぴったり!すごいよ21世紀!

5月を最高の旅行で締めくくったので、6月も頑張ります。

 

 
No.170 "探索する町"の境界
NAME : 九竜☆くーるん / TIME : 2026/04/30 (Thu) 21:28
BROWSER : Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64; rv:150.0) Gecko/20100101 Firefox/150.0
    
★Continue

IMG_000170.jpg ( 123 KB ) by Upload リミナルスペースが楽しめそうなワールド(*)を見つけたので久しぶりにVRChatにインしたが20分ぐらいでがっつり3D酔いしてしまった。
「異様にドキドキする!?心拍数上がってる!?」って思ってたけど普通に体からの警告信号だった・・・。

もちろんVRだけじゃなく実際のワールドも歩いてる。
近年は健康のため、毎日一時間以上は散歩するようになった。かつては職場(orコンビニ)との往復だけだったリアルワールドにも広大なスペースが広がっていることが判明し「なるべく未知」を経験すべくマメにコースを開拓している。見落としがちな小さな路地を入っていくのは結構楽しい。
このように日々町を歩いていると流石の私も、リアルワールドがかつての記憶(00年代くらい?)していたものと随分雰囲気が変わっていることに気が付く。

最初は「なんとなくの印象」だった。

なんとなく寂れている、なんとなく人の活気が感じられない、と言ってしまうと単に町が衰退しているように思われてしまいそうだが、もっと、なんというかこう「時代の変遷」という感じなのだ。その自分の記憶との違和感をちょっと考え整理してみた。

違和感の正体は、大きく二つに分けられる。

(1)店舗が少なくなった
主に個人商店。中古ゲーム屋、音楽&楽器&映像屋、電気屋、本屋、飲食店、服飾店、食料品店、日用品店、おもちゃ屋、娯楽店など町に点在していたお店というものがあらかた無くなってしまった。いまはチェーン店とショッピングモールだけが残ってる感じ。以前からそういう傾向はあったけど今は絶滅したとすら感じる。

(2)店舗の中身があっさりしている(あるいは超高級店舗と二極化)
置いている商品の種類は豊富なのだが尖っているモノは基本なくなって、均質化が進んでいる。
あと、(チェーン店やショッピングモール、専門店ばかりなので仕方がないともいえるが)購買システムや接客マニュアルが効率化され過ぎていて「必要な商品を買う」というストーリーがシンプルになっている。良くも悪くも個性的な店舗でのちょっと変わった体験、というのはない。(かつては突然突飛な商品を置き始めて「あー店長やっちまったなぁ」みたいなことがままあった)
逆に高級店では、お店での体験自体がちょっとしたテーマパークのように演出されている。価格に応じた非日常ではあるがこちらも「デザインされてます感」がにじみ出ており堅苦しくもある。


No.170-205 NAME : 九竜☆くーるん   Firefox 150.0 / WinNT
TIME : 2026/04/30 (Thu) 21:29
要するに、かつての町(特に店舗体験)では大なり小なりセンスオブワンダーが愉しめていたし、セレンディピティ(偶然の出会い)を嗜好する一定数の人が町を回遊していたように思うのだがそういう環境がごっそりなくなり雰囲気もすっかりかわってしまっている、ということだった。
記憶を辿るに、この変化はコロナ禍で一気に加速したように思う。それまでも個人店舗はチェーン店との競争では苦戦していたり、高齢化や後継者問題もあっただろう。それが一気に崩れたのではないだろうか。もちろん購買層におけるネットや個人売買、緊縮財政への傾倒もあるだろう。

今の町は「多くの人には深く刺さらない平均値」に支配されているようにも見える。
社会の情報化が進んだことで、閾値から大きく外れる製品や個人商店などは結果的に避けられてしまうという世の中になっていて、そうした変化も、「味の薄い町」の背景にあるのではなかろうか。

かつての町は、日常の中にぽっかりと開いた“リミナルスペース”の集合体だったのかもしれない。
毎月のように発売される新しい趣向を取り入れた雑誌や、初めて聞くような単語目白押しのゲーム、町のマニアックな店舗はそういう新旧が混濁する未知なるものとの身近な境界。
今思うに、ちょっとした変わり者にとっては避難所的な場所だったか、そうしたものは今の町からはきれいさっぱりと消え去ってしまっていた。

気がつけば、自分だけが時間の外側に取り残されているような感覚。

これまでも幾度かウラシマタロウ的感傷を抱くことがあったが、この変化は少し寂しくはある。「昭和の日」だからってわけじゃないけど。

---
(*)ORGANISMというスペース。奇妙な世界を歩くだけのワールド。

 

 
No.169 ジリツノススメ
NAME : 九竜☆くーるん / TIME : 2026/04/18 (Sat) 23:18
BROWSER : Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64; rv:149.0) Gecko/20100101 Firefox/149.0
    
★Continue

IMG_000169.jpg ( 114 KB ) by Upload すっかり暖かくなりました。ていうか天気いい日暑い。屋内は過ごしやすい今日この頃です。
世はまさに新生活シーズンとゆーことで私もいくつか生活習慣を変更しました。大きくは週休日を変更してみたり。

例えば、ランチに入ったお店で、「いつもそれ食べてますよね!」と言われる。ていうかよく見てんな・・・。

思えば、日常生活で無意識的に行動していることはけっこう多いですよね。
朝起きて顔を洗い、朝食を用意、なーんてことは考え事をしながらでも出来てしまう。まるで「自動運転」みたいです。
細かく分けると、繰り返した手続き動作が記憶されて意識しなくてもできる「自動化」と、選択が必要な状況で過去と同じ判断を自動で行う「現状維持バイアス」の働きによるもの。
「自動化」は関数モジュール(下位の処理)で「現状維持バイアス」が分岐構造(上位の状態遷移)みたいな関係ですかね。
となれば、この「自動化」のモジュールを増やしたり、「現状維持バイアス」を意識的に使うことで自己を制御しやすくなるかも。ということで調べてみた。

「自動化」は、まぁその作業を体験し習得することで会得できそう。便利なアプリをインストールする感覚で会得したいものを計画し身に付けるとよさげ。
「現状維持バイアス」のハックはちょっとややこしい。というのも、この認知バイアスというやつは、自意識が状況を理解して判断するという認知活動のエネルギー消費を抑えるためのエコ機能。意識的に考える、より前に認知バイアスが働いてしまうため「メタ認知」というフックアプリを脳に常駐させる必要がある。
心理学者ダニエル・カーネマンのモデルでは、思考には「速い思考(直感・バイアス)」と「遅い思考(論理・理性)」の二つが存在し、判断が必要な状況に直面するとまず早い思考が優先されてしまう。認知バイアス自体は生存戦略に起因していて、即座に判断しないとやばいとき、まず経験的に安定している判断に倒れる。ここをフックするには”感情のスパイク”をフックする。感情が揺れ動くときをキャッチし、その不安の正体を言語化してみることで「遅い思考(論理・理性)」が制御権を握れるので、認知バイアスが動き出してないかを観測し、そこから自分の制御を取り戻すことが可能になるのだ。

でも「現状維持バイアス」ってエコ機能なんでしょ?任せっぱなしの方がラクチンじゃん?

人にはネオフィリア(新奇愛好)という”新しいものを求める本能”というものもある。同じ生存戦略に起因しつつもこちらは新しいことに挑戦すれば「いいことあるかも」という原理。
現状維持バイアスと真逆、あちらが「自動運転」ならこちらは「手動運転」。リスクと(あるかもしれない)価値がセットになったストーリーで、実はこれが「期待にワクワクする」という感情の正体。未知に挑むときに人の脳ではドーパミン報酬が動き出すのだ。(横道だけど、物語の王道って認知神経科学と深い関係にあるかも・・・)

他にも自動運転にはデメリットも。「飽き」や多様性の低下による「幸福度の低下」、脳がラクをしすぎて判断力が低下する、などなど。
だけど、何よりも「面白くない」に尽きるのではないでしょうか。
とゆーわけで、「春の」感情の言語化によるメタ認知生活はじめてます。自分ドライバビリティ復興!みなさんもどうでしょう。

※「危機」の緊急度によっては問答無用で「速い思考(直感・バイアス)」が自分の制御を奪ってしまうが、その時、「遅い思考(論理・理性)」に立ち戻り考えられるかどうかというところがポイントです。

 

 
No.168 本日の激熱DAZE♪
NAME : 九竜☆くーるん / TIME : 2026/04/09 (Thu) 22:30
BROWSER : Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64; rv:149.0) Gecko/20100101 Firefox/149.0
    
★Continue

IMG_000168.jpg ( 197 KB ) by Upload 二週間ほど愉しめた今年の桜も見納め。
春アニメも始まる。

流石に数的にすべてのアニメを観ることは出来なくなってきて、近頃は一日三本ぐらいを見る程度に絞ってる。
相変わらず多くの作品がハイクオリティなので驚いている。今期は令嬢モノが多くて嬉しい。というか、令嬢モノ。毎期必ず入ってくるけど、これはもう今の定番なのかもしれない。

先月、公開された『パリに咲くエトワール』だが、すごく良かった。
最近のアニメや映画では「分かりやすく描写する」や「感情のアークを描く」など、創作論の教科書に描いてあるような「観客を制御する」セオリーに乗ったものばかりなのだが、パリエトはそういうセオリーの真逆を行く。作品の世界を見せることに重きを置き、観客はその世界のなかを体験しているようなつくりになっていると感じた。登場人物の心の中の気持ちや思いが吐露されることもほぼなく、観客の共感を盛り上げるような演出もない。
パリエトは、世界を眺めて、それを自分の中の知識や経験と照らし合わせて、自分の中で物語を「解釈」できる作品なのだ。消費されることを前提とした映画とはちょっと違っていて、自分の中では深く残る作品だった。繰り返し、何度も観たくなる。
このようなアプローチは、今の商業主義中心のエンタメ傾向とは真逆である。従ってみんなの評価も割れている。いつものように「アニメ映画を浴びる」つもりの観客には、盛り上がりに欠け、これといった見どころもない映画に見えるためだ。だが、緻密に組み立てられた映像やアニメーションしぐさは雄弁に世界を語り、物語は余白を意識して構成されているので、観客には「解釈」が要求されている。観客が「解釈」しないと作品が完成しない作品であり、観た人それぞれの作品が出来上がる、そういう作品だった。なかなか人には進められない作品だが、私はこういう作品をずっと観たかった。とにかく、すごく良かった。

こうした映画体験もそうだけど、最近はいろいろな事から人の価値観の違いについて意識してしまう。
人がアニメや映画に何を求めているのか、何を価値と感じるのか。旅行や食事に対する価値観、読書に対する価値観、遊びに対する価値観。特に人と一緒に行動すると価値観の違いが見えてくる。人もそうだけど、昔の自分との価値観の違い、にも気付く。
かつては、物を買って所有することに価値を感じていたが、今はそれを買うことで自分の人生がどう変わるかに価値を感じるようになった。時間の価値も変わって、かつては隙間時間をどう過ごすかという暇つぶし思考が、やりたいことをやるためのリソースという見え方に変わり、自分の中では「暇・無駄」の価値が暴落しているような感覚。必要以上にゲームに魅かれることもなくなってきた。そんな調子なので、偶に友人知人と遊びに行くと、時間感覚や金銭感覚の価値観の違いがすごく気になってしまう。これは面白い経験だった。

話は変わって変わって。

『Millennium Heresy(2)』絵の下描きがほぼ終わり、彩色に入る。順調で、昨年よりも少し進捗が良いので秋ぐらいには出来上がるかもしれない。
その次は(3)をつくる予定。Millennium Heresyは軸として、他の創作ネタは単作で本にしようかと思案中。マンガも描いてみたい。ゲームもつくってみたい。
時間が足りないなぁ。

というわけで4月も頑張ります。

 

 
No.167 本日の桜咲く恋夢♪
NAME : 九竜☆くーるん / TIME : 2026/03/31 (Tue) 23:48
BROWSER : Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64; rv:149.0) Gecko/20100101 Firefox/149.0
    
★Continue

IMG_000167.jpg ( 182 KB ) by Upload 近所のサクラがもうすぐ満開に。ちょっと前までさむいさむいって思っていたのに、もうすっかり春めいている。
三月はBoothで通販を始めたり、映画を見たり、青春18切符を使ってみたりとバタバタしている内にあっという間に終わってしまった。
原稿も進んでいるが、延々と絵を描く作業に突入。それと並行して、もう少し先々に何を作るか思案中。時間も限られているのだろうし、全部は出来ないんだろうなぁ・・・。

3月も頑張ります。


No.167-202 NAME : 九竜☆くーるん   Firefox 149.0 / WinNT
TIME : 2026/04/09 (Thu) 22:49
人生で初めて使った「青春18切符」。かつてはバラバラの日で使えたみたいだけど、いまは連続3日or5日間JR乗り放題(除く特急・新幹線)の切符だ。
春・夏・冬と期間限定で販売されている。
途中下車し放題なのもいいところ。乗り換えでちょっと時間があったり、寄り道したくなったときにも気軽に立ち寄れるのは素晴らしい。
今回、実際に感じたことは、都市部では電車一杯あって便利だけど、田舎に行くと電車そのものの本数が無くて自由度は下がってしまう。
特に一時間に一本も電車が走ってないようなエリアでは、無計画に途中下車しづらい。乗り換えも上手くできていて、割とスムーズに遠方まで行ける。逆に言えば都市部では便利かも。ラッシュには注意。
あと、長い区間乗っていると、区間ごとで客層ががらりと変わってくるのも面白い。都市部ではあまり見かけないような胡乱な人も平日のローカル区間では見かけることができる。
田舎では車窓を眺めるのがとにかく楽しい。電車が好きな人には素敵な切符ですね!

機会があればまた使ってみたいな。

 

 
No.166 ミレニアム・ゴシックという羅針盤
NAME : 九竜☆くーるん / TIME : 2026/02/13 (Fri) 20:39
BROWSER : Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64; rv:147.0) Gecko/20100101 Firefox/147.0
    
★Continue

IMG_000166.jpg ( 108 KB ) by Upload ジャンルについての考察。

きっかけは、「自分の創作はどのジャンルなのか」に始まり、「自分の好きなものってなんだろう」という問いに行きつく。
”創作には自分の好きなものを詰め込みたい”、そう思って改めて考えてみると、思ったよりその底は深かった。

SF、怪奇、幻想、ゴシック・・・。直感的にはゴシックなのかもしれないと思う。だが、現代においてはゴシックというジャンルは海外古典扱いだ。怪奇かな?
いや、そもそも怪奇、幻想、ゴシックの違いっいてなんだろう?考え出すと次々と分からないことが見つかり、言語認識の世界が崩れる。これまで結構雰囲気で用いていたのかと思うと、愕然とする。中世からある修道院の廃墟のような場所、歴史的な因果。あるいは綺麗とも可愛いとも違う、美意識・・・しかし、その理解は正しいのだろうか?

というわけで考察してみた。

<ゴシック創作の定義>
以下の四つの要素を含んだ創作物をゴシックと定義。

(1)空間:歴史的リアリティが物理的に凝縮された、逃げ場のない「場所」で描かれること。
・過去の重みに支配された空間。「いわく付きの物件」「放棄された原子力発電所」など。
(2)構図:本来なら封印されているべき抗えない力が顕現し、日常を侵食すること。力は崇高(時間空間的な重み)を含むこと。
・「過去の忌まわしい事件」「封印された悪魔」「帰還出来なくなった宇宙船」など。
(3)構造:人間が自分の意志(理性)でコントロールできない巨大な構造に組み込まれ、個が消失していくこと。消失は至高(前進)を含むこと。
・「霊の世界の存在を前になすすべもない」「宇宙的な暴力を前になすすべもない」「世界が実は計算機の中の仮想世界と知る」など。
(4)形式:ロアのような不確かな叙述という表層をまとっていること。
・「伝承」「事件の記録」「隠された記録」など。

これらの四つの要素に対する「好き」の要素は以下のように分析できる。

(1)はリミナルスペースのように(2)や(3)を高める効果がある。(重みは力学を、緻密さはリアリティを与える)
(2)に対して、崇高(「苦痛や危険を暗示する対象が、安全な距離から観察されるときに生じる、最も強い感情」)を感じること。(ゴシックの真髄)
(3)を見て恐怖と同時に価値観の更新による恍惚を得ること。(読者が新しい視点を獲得できるから)
(4)は(2)や(3)を高める効果がある。(虚実を定めない=神話化せず、鮮度を保つ)
※(1)(4)は形而下(表層)でWant、(2)(3)は形而上(真髄)でMust。

さらに個人的な「好み」を加味するなら、(2)の存在が(3)に対して対峙(抗い、あるいは契約による接続)する状況に、さらに崇高を感じる。

<他のジャンルとの違い>
・怪奇との違い:決定的には(2)(3)に含まれる崇高の比率が低いこと。「拒絶」の比率高め。
・幻想との違い:(1)は地続きの現実ではない事が多い、(2)は侵食ではなく裂け目からの溢れだし、(3)は越境であること。

こうして整理してみると、あらためて「好き」とゴシックが被っていることを認識できる。
さらに、表層を取り去り、(2)(3)を含む作品を探すことで、自分の「好み」そうなものを見つけることができる。これは使える!
書店などのジャンルは(1)(4)表層だけで分類されているが、(2)(3)の傾向を持つ作品は多く存在している。こうした傾向で検索することで、発掘が捗りそう。

ここに至り、作品のジャンルが見えてきた。
『ミレニアム・ゴシック』
20世紀と21世紀の境目を舞台とする、ポスト・ゴシック・・・レトロ・パンクよりも、より方向性が明確になったような気がします。

 

 
No.165 恐ろしい夢と新しい力学
NAME : 九竜☆くーるん / TIME : 2026/02/08 (Sun) 17:11
BROWSER : Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64; rv:147.0) Gecko/20100101 Firefox/147.0
    
★Continue

IMG_000165.jpg ( 275 KB ) by Upload 到達不可能な開発要求を実現すべく、午前零時をまわっても仕事をしている。もちろん御法に触れる行為であり、発覚すると様々な誹りは免れない。
あるいは、リリース後市場で不具合が発生、その対応に追われる。直接的対応も当然のことながら、なぜそのようなことが起きたのか、という内輪からの糾弾。
・・・努力せざるを得ない状況に置かれ、本意でもない努力の果てに、誰も喜ばない・・・という夢。目が覚めたのちも暫くはドキドキが続く。

人はなぜ悪夢をみてしまうのだろうか。

目が覚めてしまうほどの恐ろしい夢、ナイトメア障害などというらしい。不謹慎ながらネーミングはカッコイイ。
その理由には幾つか説があるみたいだけど、すでに夢に見る事象が解決済である場合はこんな要因が考えられている。
一つは、「感情的な残響」としての反応。非常に強い不安や緊張を長期間経験すると、脳の「警戒モード」スイッチが入りっぱなしになり、過去の嫌な出来事と似た状況を夢でシミュレーションし続けてしまうというもの。日常を不安に置く、というライフスタイル。
今一つは、現状の些細な不安や生活リズムの乱れをトリガーとして、かつて最も辛かった時期の記憶が「不安の象徴」として呼び起こされることがあるというもの。 

いずれにしても、動物というのは危機に対して敏感であればあるほど、生存の可能性が増すというメカニズムを内包している。
環境や状況に対して即応を促すために脳内で疑似的な不安を作り出すという仕組みが過反応している、ということかもしれない。免疫力の暴走、アレルギーにも似ている。
免疫や不安に関してもだが、考えてみると、感情ですらも人は自らの制御下にはできていない。いいことがあれば浮かれポンチになってしまうし、コンプリートを逃してプンプン丸してしまうことですら、自我は感情が変化した事後の対処しか出来ない。
「夢」の内容を思い通りにできたら、どんなに楽しいだろう・・・という妄想もあるが、一歩進んで、自分の感情を思い通りに出来たら、それはすごい事なのかもしれない。
考えてみれば、娯楽や飲酒、違法薬物や宗教なんかも、みな感情を主体的に操ろうとして行うものなのかもしれない。ただ、最初は主体的にやっているつもりでも、いつしか感情側に支配され過反応側に陥ってしまうのは、これもフィードバックループのアンプ効果に似ている。結局はバランスが大事なのだろう。
適度に感情を振幅させて、自分の思う綺麗な弧やリズムを刻む、というのが心の力学のハックなのかもしれない・・・。

話は変わって変わって。

即売会も終わり、次の「本」も文章作業(第一稿)がほぼ終わりそう。
「本」つくりも二周目なのでフィードバックを意識していたりもするけど、今の段階でこれまで書きたかった倫敦という都市を結構書けた気がします。
ここからは編集と絵の作業が続くことに・・・マーメィさんのご期待に答えるためにも英国式魔法少女の姿を沢山描きたいです!
一方、通信販売についても色々調べて試してみようかと思っており、これも経験皆無なので、挑戦ですね!

2月も頑張ります。

----
妄想絵:神罰によりすべてが塩になったわけではなく、例えば聖リトアニア結界を起点にドニエプル川から東側の人々は水の結晶になった。一時的に極低温圏が南下する大変動である。

 

 
No.164 2026年の未来へようこそ♪
NAME : 九竜☆くーるん / TIME : 2026/01/20 (Tue) 23:14
BROWSER : Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64; rv:147.0) Gecko/20100101 Firefox/147.0
    
★Continue

IMG_000164.jpg ( 131 KB ) by Upload あけおめ絵を描こうと思ってましたが、気が付くとお正月は過ぎ去ってました。いや、ちゃんとお正月してましたよ?
1月はいよいよ文学フリマで初即売会、ということで初めて同人誌即売会に出店側で参加、そして、自分の作った本を買っていただくという感動を味わう。すごく嬉しい。
文学フリマ京都そのものも初めてだったのだけど、すごく人が多かった。2フロアだし大阪よりも大きいのかもしれない。
自分の本がいったいそのジャンルに並ぶのがよいのか迷った挙句に小説SFにエントリーしたのだけど、すごく浮いていたような気がする。
一部しか見れてないけど、見た感じSF小説が好きで「好きなSFについて語る」的な作品が多かったように感じた。ファンジンのようなものも多い中で、これってSFなのか的な独特の一次創作本は異質だったかも。差別化できてていいじゃん、と言われたけど、アウェイ感あるかも。でも、この創作のお祭りみたいな雰囲気は好きだし、今のジャンルの空気感みたいなのを感じるのには最適な「場」なのかもしれない。自分の中の感覚との位相差を測るみたいな。お陰で、「独特を行く」というこの先の方向が見えてきたような気がする。
次の本では、ようやく「英国式魔法少女」のお話が描けそう。
なんか変な話だけど、作品を一つ作ってから初めて「これからはずっと作品を作り続けるんだ」って初めて理解したかも。
書きたいお話は沢山あって、どこまで書けるんだろう・・・とか、あまり先のことは考えないようにしよう。
今回お隣になったサークル(研究会)は、私が生まれる前から活動しているそうで、最年少の会員です、と仰っていた方は60を越えられているそうで、すごく歴史を感じる。
会員の方々も健康面で活動も厳しいそうで、いろんな話を伺ったのだけど、同好サークルというものの社会生物的なサイクルを実感せずにはいられなかった。
最優先リソースは時間。でも、相変わらずアニメも見続けてます。「悪魔くん」かっこいい!「幼馴染とはラブコメにならない」なにこれwあと、インディーウェブのトレンドにも乗っていきたいよね!

2026年も存分に精進しましょう!
1月も頑張ります。


No.164-195 NAME : マーメィ   Safari 605.1.15 / MacOSX
TIME : 2026/01/26 (Mon) 00:43
京都お邪魔した者です!本めっちゃ良かったです!くーるんさんの絵とお話しほんと好き。本で読めるっていうのはやっぱいいですね。つぎ英国式魔法少女やってくれるのも楽しみすぎて。。
No.164-196 NAME : 九竜☆くーるん   Firefox 147.0 / WinNT
TIME : 2026/01/26 (Mon) 18:46
書き込みありがとうございます!ここに書き込みがあるのは実に10年ぶり・・・思わず二度見してしまいました。
「本」は一つのテーマで纏まっているというのがいいですよね。紙の本というのも存在感があって結構好きです。
SF小説なの・・・か?・・・というのはとりあえず置いておきましょう。。(^^;)
 


| BACK >> PAGE [1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16][17] BBS NOTE 8.0b19 Angel
ShiPainter Program (C)しぃちゃん(shi-cyan)