二つの胸のふくらみは何でも出来る証拠なの♪

えーとえーと、タイトルと本文は関係ありません。
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いつか遊んでやろうと思って環境だけは揃えていたMikuMikuDance。物理演算でゆれる髪の毛と衣装をシミュレートにもびっくりしたけれど今はもうKinectをつかってモーションキャプチャも出来るのか!!ひと昔前は高価な機械と設備が必要だったのにあっという間にデスクトップサイジングしたものだ。拡張現実や箱庭系と組み合わせていろいろ遊べそうな気がする。牽引錯覚デバイスと組み合わせて手を引っ張ってもらう日もそう遠くない未来なのかもだ。

初音ミクといえば特集が組まれているというので久しぶりにSFマガジンを買った。わたしの停まった時間軸ではSFマガジンはこーゆーものに反応するのも早いという印象があったのだけれど、確かにタイミング的にはどうなんだろう。某所ではSFマガジンの読者とオタクはかなり隔たりのあるような意見も見られたのだけれど、現在においてはSFファン(?)とアニメやキャラクター創作との間にはいまや隔たりがあるのだろうか。初音ミクのような電子の歌姫はその昔思い描いていたSFの一つだったようにも思う。
こうしたいわゆるSFとの微妙な距離感はラノべ-いわゆるライトノベル-誕生のおいたちからも見ることができるかもしれない。いつの間にか誕生していた『ラノベ』はあっという間に増殖、本屋さんの棚の配置を年代ごとに分析していくと最初は同棚に並べられていた作品がいまや明らかに全く異なる場所に配置されている。年配の読者たちはどうもあの萌え萌えした表紙や跳ね踊る文体がお嫌いのようだ、かつてはSFも”UFOを夢見るような少年少女の三文小説”だったように思えるのに。

1980年代になって既に様式化をはじめていたSFを離れ無節操なメディアミックスを始めたライトノベルはその作品自体もまたクロスメディアだった。時事ネタや最先端の科学技術の成果だけではなく漫画やアニメの表現手法を作品の中にも取り込みマルチメディア展開するその「わくわくする世界」に向ってIT技術や想像力や表現力豊かな若者・人材が流れ込んだ結果が「今」とも思える。(メディア発から同人にまで突き抜けてその後同人からメジャーへの展開といったムーブメント自体爽快だ)

もちろん変わらないことも一つの美の形であると思う、深く深く追求してゆかなければ到達できない地平もあるわけで、そういうジャンルは滅びないで欲しい。ただTOPメディア(メインストリーム)はそういった様式美も全く新しいものもひっくるめて”わくわくする面白さ”を追求し続けるに違いなく、そういった流れを飽きることなく”面白い”と感じ眺め続けてゆければいいと思う。まあ、なんといってもわたしらは子供のころ思い描いたSFの世界に生きているのだから。

話は変わって変わって。

日記絵は『千年魔道』よりノーザンの10位と11位。背景が寂しいので白百合を背負わせてみました。配色難しい。以下、中二的妄想。
通称ツーハンドと呼ばれる11位は数千本ともいわれる魔法の剣によって構成されており常用するフタフリの魔剣以外は自身の体そのものを十二徳ナイフのように展開することで顕現する。かつては魔法少女であった(と思われる)が魔法で作られた生物のような存在だ。常に魔剣の制御にその魔力と知性は総動員されており、ゆえに無口かつ無表情。
モノトーンのお姉さん(10位)は十絶という律法を無効化する召喚獣を使役する、という事以外は不明。知の番人、キーパー側の存在。

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