Gothromancer

ロマンスといえば今日恋愛ものを指して使われている言葉。ロマンチックはさらに現実離れした夢のような意味をも持つが、そこまで突き付けて考えるとファンタジーと意味的にはさほど変わらない気もする。

いままで何の疑問も抱かずに使っていた言葉だが、こうして意識するとそのイメージが途端にあいまいになってしまう。不思議なものである。
ロマンスとは、もともと「ローマ的な」という意味であり、文字通りローマを起源とする言葉だ。
時代は古代ローマにさかのぼり、イタリア中西部に居住したローマ帝国の礎となったラテン人が用いたラテン語の口語がロマンス語。
中世ヨーロッパでは俗的な民衆小説などにこのロマンス語が用いられており、騎士道文学(騎士が見知らぬ土地を冒険し、美しい貴婦人のために人々を苦しめる邪悪を倒し、王に認められるという典型的な物語)などが流行したが、こうしたことから恋愛ものを指してロマンスと呼ばれるようになったということらしい。正にファンタジー。
ロマンスはやがてゴシックロマンスを生み、そこからホラーやSFといったジャンルが生まれていくのだけれど、それはまた別のお話。外来語の起源についてあれこれ考えるのも楽しい。

というわけで妄想。

時は現代。
所はノルウェー西岸ヴェストラン地方にあるビョールグヴィン。
身寄りもなく修道院に引き取られていた年端もいかぬ少女マルグレーテのもとに、ある日スコットランドからの使者を名乗る老紳士が現れ「我らが主」としてスコットランドに来てほしいと告げる。
戸惑いながらも老紳士と旅立つ少女。道中の船の旅船室から決して出てはいけないといわれ、途中三度ほど船は「名状しがたいものたち」の襲撃を受けるも無事スコットランドに到着する。
スコットランドはハイランド地方に残る古い城、アーカード城。城は中世初期の要塞の上に建造され一時は国政の主要な位置を占めるも戦争の舞台となり現在は廃墟となっているその城門をくぐり、グランドタワー前の広場に据えられた古い大きな石のうえに少女が座ると、老紳士は恭しくひざまずき少女の指に古い銀の指輪をくぐらせた。
その時地鳴りのような響きとともに、広場の地の底から這い出づる影、その数13つ。いずれみな形容しがたい個性的な特徴(長槍持つもの、大剣持つもの、etc)を有するも押しなべて中世の騎士のような出で立ちの影たちが、呆気に取られている少女に向かって恭しく膝まづき口を開く。「我らの心臓を貴女に」。
少女の指輪に仄暗い七つの光が宿ると同時に、それらの13つの影はそれぞれが散り散りとなって、虚空に飛散していった。

時は流れて
所は東京。いわゆるブラック企業で非人道的な上司からねちねちと過酷な労働を強いられる男。男には生まれながらにして不思議な力を持っていた。少年時代のトラウマもあり、その秘密を抱えて生きてきた。
だが、ある時ついに秘められた力を抑えきれず上司を殺めてしまう。
その現場に現れる少女と老紳士。思わず男は逃げ出してしまう。男を追いつめた少女は男にはるか昔に降りかかった「不思議な力」をもたらす呪いと、その呪いをかけた相手が今この現在においても強大な影響力を持って生き残っていることを告げる。
話を理解できない男は再び力を暴走。脱線事故に少女を巻き込んでしまう。
男は行く当てもなく、最初の上司を殺めた現場に戻ってきていた。がしかし、そこに死体の姿はなかった。「とうとう正体を現しやがったな・・・」男の背後に死んだはずの上司が立っていた。

昨年チェコ旅行で訪れたセドレツ納骨堂。ここも黒死病で亡くなった人たちの遺体であふれたとか。

スコットランドの歴史を調べてるうちに「ノルウェーの乙女」の話を知り、私的ゴシック・ロマンスってこんな感じか?って風に妄想。書き出してみて気づいたんだけど、これ中世じゃなくて日本の古事とかにするとまんま伝奇ロマン!嗚呼ロマンツェ万歳。
もちろんブラック企業の上司の正体は「名状しがたいもの」の手先であり、少女は世界に散らばった13人の転生者を探し出して敵を討つという展開になるわけです。少女の表の顔は政財界にも顔が利く資産家。彼女の小さなキングダムの運命いかに!?

ところで、ローマといえば中世において強大な権力を持ち人々を支配したカトリック教会が黒死病の流行によって弱体化(人々が救いを求め教会に集まり集団感染する&教会の人たちも感染=信心離脱)し、近代が始まった、という説も興味深い。
アイザック・ニュートンの業績がロンドン黒死病からの疎開によって生まれた時間(暇)から誕生した、という話も含めて。事実は小説より奇なり!ってゆーのは陰謀論者の枕詞なんだろうけれど。

関係ないけど、教会の死生観っていうのは終末思想であり、いったん死んだ人も生きてる人も、やがて来る世界の終わりの日に呼び戻されて天国か地獄かの審判を受けることになっている。
世界の最後の日にまたみんな逢いましょう!的な感じで、死をそういう風に解釈するのかな。人類が宇宙に進出するようになったら宇宙最後の日にスケールアップするのだろうか。
などと欧州を旅する間に漠然とおもったりもした。

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