Starry Wisdom

千年魔道における「Starry Wisdom」に関する覚書。

「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」(グノーシス的に)

『ヘルメティカ文書(Hermetica)』はヘレニズム時代において古代エジプトを中心に当時の人類が到達しえた知識/知慧を集大成したテクスト群だったといわれる。
今日写本や断章によってのみその片鱗を垣間見ることができる(手っ取り早くは、ヘルメス思想、ヘルメス主義などで検索するとそれっぽい情報が散見される(ナグ・ハマディ写本とかね))。その昔人が神からこの世の真理を授けられたといういわゆる「古代神学」という思想において言及されることも多いが、古代エジプトを支配したファラオは神々の化身であり、まさに神話と歴史が地続きで繋がっていた世界だったといえる。
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度重なる戦乱の歴史において、エジプトに侵略した信仰や宗教をもつ地中海や西アジアの英雄達が、現世に顕現した神=ファラオに対して抱く畏怖というのも想像に難くない。星辰や測量、土木技術に関しても高い技術力を持ち魔術に関する技術も発達していた。
紀元前後、医学や科学誕生以前のこうした知慧は中東から世界にも伝播するが、暗黒時代といわれる大混乱の中でヨーロッパの文明は一時後退する。

一方古代メソポタミアでは、繰り返される都市国家間の戦乱の歴史の中で神殿や拠地を永続的に持つことができない状況において、心の拠り所を律法に置き安寧を得るという新しい宗教を発明してゆく(バビロニア捕囚などの事件はその顕著な例といえよう)。
反体制側のために生み出されたこの宗教はやがて逆に権力者側に利用され改良を繰り返し世界を席捲する宗教へと変貌してゆく。
この律法は歴史的に積み重ねられてきた各地の宗教的寓話や知慧を含む口伝を数多く飲み込み物語として編纂する形で『聖書』として成立する。このモバイルな宗教的アイテムは超強力な武器として機能した(物理的にもw)。

古代エジプトから中東に伝播した古代知慧はやがて数多くのアラビア人の錬金術師を生み出し、イスラム科学黄金期へと連なる。こうした知慧は暗黒時代を抜けた中世ヨーロッパにも再伝播し錬金術ブームへと影響を与え、近代化学誕生の礎へと繋がってゆく。時の知識階級は古の世に神代から授けられた「真理」を求め古代文献の研究に没頭した。古文書は、超古代文明の長い年月の中で生み出された知慧の集大成でありその中には数限りない原始宗教から発展した儀式魔法を含んでいる。いっぽう同様に数多くの知慧を寓意的に組み込んだ『聖書』も研究対象となりカバラへと繋がる。

220px-Tree_of_Life,_Medieval生命の樹
魔術的な世界解釈によく登場するこの図形は、旧約聖書にでてくるアダムとイブが食した禁断の果実がなる樹を解釈したものである。人類の創造、知恵の実を結実するという樹木、ということで古に神から授かった知慧が隠されていそう・・・てゆーか、この解釈が拗れて運命を解読するアルゴリズムみたいなものを生み出したりしている。

philosopherstone賢者の石
この世にあるすべてのものは、その「あるもの」が「あるもの」たらしめている根源的な要素によって、なにものでもない汎用な物質から「あるもの」が生み出されている。古代の人が思考実験を繰り返して万物の真理に触れたことを中世になって具現化してしまった際たるガジェット。

魔法円
シャーマニズム、アニミズムなどの原始宗教に根ざす巫女や神官が執り行う祭儀をポータブルに進化させたものとして発明された魔法。円は簡易結界であり、もともとは聖なる場所や祭儀を執り行うために作られた聖殿/神殿で儀式による魔術を発動させていたものを究極までにポータブルにしたものである。チョークなどで円を書くだけでそこが簡易な聖域に!(もしくはポータブルな聖域が進化して神殿になった、という考え方もあるかも)

こうした知慧の積算は古代のインドでも行われている。

『ヴェーダ(Veda)』(「ヴェーダ」とは、元々「知識」の意)も同様に長い年月を経て洗練された知慧の結集物であり、古に神から人に授けられたもの、と言えるような内容だ。ここで解かれるのは、人間は輪廻という無限に続く生まれ変わりのサイクルの中にあって、そこで行う行為によって業(カルマ)が変化し次の(輪廻転生後の)運命が決まるという、まるで何かのゲームのような設定・・・もとい「真理」が語られる。カルマによって次の一生が酷いものになるという無間地獄とでもいうべきループから抜け出すために、解脱の道=クリア条件を達成せよ!といったもの。

ただし、物質の根源とか、超自然的な神々の力とかそういった西洋的なものとは違って、東洋ならではの、大宇宙の中の小宇宙といったマトリョーシカ的なメタ的思考や、プラーナのめぐりによるダイナミックリズムと合一、そういう宇宙のシステムを感じそれを実際の健康や身体能力の向上に応用するといった精神的な術式(タントラの神秘的生理学説におけるチャクラの制御とか)に尖って発展している点が面白い。

Vishnu_Mandalaマンダラ
マンダラ自体は仏教における密教のそれを示すことも多いが、このパターン自体は神秘学的なものに多く観られるものである。ヒンドゥーではヤントラと呼ばれ、密教と同様に瞑想の儀式や手順を具体的にシンボリックに現したものである。パターンに配置されるシンボルは「神」を、その配置は「世界観」を現す。ユングはこのマンダラ的なパターンを集合無意識を通じ人類が共有するアーキタイプであると研究している。
東洋では乱暴に言えば世界はフラクタルであるという考えが根底にあるので「世界観」をイメージし内観することで自分自身を制御するという実利をえることも出来るのかもしれない。
世界の真理を表す、という意味においては生命の樹も賢者の石も魔法円も量子論も変わりはない。世界の真理を解き明かして御する、ために。

人類のゆりかごと呼ばれる地域においてはおよそ同様に知慧の集結が成され、それぞれがまったく異なるベクトルの方法論をたどりながら何らかの「真理」に到達した痕跡が残されているという点が興味深い。思うにこの世の「真理」はこの世そのもの全てにまるで金太郎飴のように内包されており、そこに到達する道は、この世の何でもよくてとにかくその道を極めて極めて極めつくすことによって一つの点に集約されるのではないだろうか、とさえ思えてくる。科学がどんなに進歩したとしてもそれも一つの「道(タオ)」に過ぎない、過去幾度となくさまざまな方法で「真理」に到達したタオと同じように。

そして、この道(タオ)を外れて(一つの道だけではなく節操なく)真理を御するもの、それを魔法と呼ぶ(という妄想)。

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