選択と消去、あるいは夏の記憶

お母さま!!

えーとえーと、絵のエピソードはそのうち付いたりするかもです。

暑い暑いといいながら日々を過してきましたが、気がつくともうすぐ8月も終り。 夏休み話のネタをいろいろと書こうと思ってましたが、既に機を逸してしまった。ので来年のネタとして書き溜めておこう。

ところで最近、記憶力の低下が著しい。

別にお酒を飲んで記憶をなくしてる訳ではないのだが、時折ずっぽりと物忘れしていることがある。 特に恐ろしいのはお仕事での物忘れだ。複数の開発を掛け持ちで進めているとただでさえどこまで進めたか忘れてしまう。

先日も、「ああ、忘れてしまわないうちにアレをやってしまわないと」と思って作業フォルダを開くと、なんともうその仕事が出来上がっている! 同僚がやってくれたのだろうか、気が利くなあ~と思って礼を言うと「いやいや、しらんで」とのこと。

うーん。 こういうことが何回も続くうち、みんなの話を総合すると、どうも自分でやってしまっているらしい。そしてやってしまったことを忘れてるのだという結論に。 なんだか恐ろしい話ではあるが、自分自身ではいつの間にか仕事が終わっててなんか得した気分である。・・・ていうか本当にホントに自分でやってるんか? どこかでフラグが立って美少女が人知れず仕事を片付けてるとか、夜中に小人がやってきて片付けたのではないだろうか?そんな気もする。肝吸。ほひー、もう年かな。

ここは一つある仮説を立ててみた。パソコン外部記憶依存説。 就職してからわたしは毎日紙のノートに業務の記録をつけたりしていたのだが、数年前からアナログを全て廃して何でもノートパソコンに記録するようにしている。 日々の記録はもとより、議事録や中長期的なアジェンダ、ハテは突然思いついたアイディアなんかも忘れないようにノートPCに記録している。

ところが、PCに記録することで安心してしまうのだ。この安心がいけない。”憶えてなくちゃ”という意識が無くなるのだ。そして海馬が短期記憶から長期記憶への転写を怠る。 正に危機感の欠如。しかも、”参考書を買ったから勉強した!”的な安心感にも似た合一幻想がここにも生じる。すなわち”PCに書いたから憶えた!”と。

がしかし、今のところPCは自律的にわたしに働きかけたりはしない。 というわけで、何でもパソコンにとか書いて記録するというのもよしあし。時には脳に危機感を与えてあげなければいけません。

みなみなさまもお気をつけあれ。

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