昨年末に部屋の古い地層から発掘したメモやら落書きの束を読み返して過ごす日曜日。そういえばあの頃はこんなことを考えていたなあ、とか、こんな事あったな、なんて思い出してしまっちゃってちょっぴりおセンチに。美術の授業で使っていたスケッチブックとか眺めながら、もっと好きなように絵を描いててもよかったのかも、なーんて。
小説とか落書きもそうだけれど子供のころに考えたものは、なにかこうムリクリに小難しい話にしようとしている傾向が見られる。これは、なんでなんだろう。背伸びをしてみたかったのかも知れない。超未来の完全管理社会においてシステムの一部として働くエリートの若者が"どうしてこんな世の中になってしまったんだ"と、ふと悩みに目覚め、創造主との対話を繰り返して苦悩を深めた挙句、システムからドロップアウトしてスラムで堕落し、端末にもアクセスできない文字も読めない貧民街の女に拾われて体に溺れるとか、そんなの。
他にも、入院している寝たきりの女の子がベットを含めるその一室を世界のすべてと捉えて、妄想世界を構築してゆくお話とか、お芝居のシナリオみたいなのも。
何かしたかったのかな、その頃のわたしはわたしは。
話は変わって変わって。
辞書での調べ物が苦手なわたし。
目的のものを探しているうちに他の単語に興味を惹かれてそこから次々と脱線してしまうからだ。
なので。
ネットでも当然脱線しまくってしまう。(この話は前にも書いたようなきもするけどw)
今日はかがみあきらさんの名前を目にしたのでそこからネットの海での脱線が始まった。
そんな脱線のさなか、ある人の、大好きなサイトが閉じられたことに対する私的なテキストを目にする。そこにはこんなふうにつづられていた。
"まるで卒業の様だ。同級生は今後も有り続けるけれど、学校に来なくなる。連絡は取れるけど相手はあの頃の同級生ではない。そういう気分。居なくなる訳じゃないのに。いや、居なくなるのだろう。 "
サイトが消えてしまうことも寂しいけれど、更新されなくなってしまったコンテンツをみるのも寂しい、とそこにはつづられていた。
実世界とは違って、ネットでの人間関係は希薄。交流があるならばまだしも、ともすれば一方的にROMっているサイトも多くて、連絡はおろか、面識もないわけで。・・・そりゃあ、こっちとしては勝手に応援しちゃっているわけだけれど、ううう。
不思議な場所ですよね、ネットって。