エニグマとシンギュラリタリアン
エニグマとは「謎」という意味であり転じて暗号やパズルなどを指したりする。エニグマ暗号などが有名。暗号とはお話する相手以外に知られたくない内容をある一定の法則で変換しその法則を知っている者同士が情報を解読するやりかたで、古くは紀元前にさかのぼる。内緒話と人類の歴史はもはや等しいといっても差し支えないだろう。
かつては暗号解読は言語学者のお仕事とされていたのだが今では数学者の範疇というのが一般的。知識や経験や勘を頼りに事象を解決する時代よりも集めた情報を解析し確率的に効率のよい式が「エニグマ」をぶち破る、そういう時代なのだ(・・・いや生まれる前からそういう時代だから)。
ヴィクトリア朝の空想科学小説はそういう時代が到来する前の科学技術や解明されつつある自然科学に期待と畏怖が入り混じった世界なのかもしれない。急速に発達する科学にそれを御し得る得ないを神官=科学者にゆだねる、あるいはその荒ぶる科学=神に手を焼いた人々が神を滅ぼすという図式は昨今のエネルギー施設問題にも通じるものがある。
一方経済や人間がどうとかそんな人道的な社会とは次元の違う世界もあって科学技術はムーアの法則あるいはカールワイツの提唱する収穫加速の法則的に加速度的な進化を見せている。未来は今の進歩の速度の直延長線上ではないというわけ。かつて21世紀には化石資源は枯渇するであろうなどといわれていたが今もって枯渇していないのはその時代には想定すらされていなかったイノベーションがもたらされているためだ。
その進歩、ではその先はどうなっているのか、というと指数グラフを思い描くとよいのだが無限に収束する点がある。それは『シンギュラリティ(技術的特異点)』と呼ばれている。特異点では宇宙、というかこの世界そのものが情報として扱われる。もちろん人間にそんな能力があるはずもなくて、特異点を迎えるのはポストヒューマンと呼ばれる情報マシンだったりする。
そんな世界をまじリスペクトしている人たちをシンギュラリタリアンと呼んでいる(あるいは自分達で名乗っている)。この、謎と不思議 VS 全知全能 という図式にとにかくシビれていろいろお話を妄想してしまうわけだけど。ミステリものってそういうのがテーマなのかも。
そんな話はどうでもいいのだけれど日本はすっかり秋っぽくなっていよいよ食べものが美味しくなってきました。鍋とか焼きものも海や山の幸がたわわ~んな秋。しかしお絵かきのほうはちょっとスランプ気味かも。というわけでまた昔の自作マンガからスケッチしてみる。いまではあんまり思いつかないような変なポーズも多く、自由な発想というかいろいろ冒険しなくなっているのかなーと一人反省会。“くそったれの言葉に揺り動かされる必要なんてないんだぜ!!“とかアンチソーシャルというか中二的な台詞を見るに当時はいろいろあせってたのかもしれないなー(注:今も中二病です)。
お絵ちゃの時間も縮小気味。
てゆーかボクっ娘と男の娘のカップルの話。いろんなところが成長してくれないボクっ娘と長身デルモ系男の娘がツアーのダブルブッキングで知り合い、”男の娘”という正体を告げる機会もないまま仲良くなってしまった後、性別バレしてすったもんだの後ラブラブになるという妄想。お互いがそれぞれ人に言えない趣味趣向をもっててコンプレックスを乗り越えながら距離を縮めるシチュがすきなのかもしれません私。
ああッ!それにしても英國旅行楽しかったなー!すごくすごく刺激的でちょっと人生感変わったかも!!
でもでも私は日本が大好きです。