Baba Yaga
全世界を覆うコンピュータネットワークや量子コンピュータ(量子ゲートじゃないけど)が現実のものになった21世紀だけれどなかなか進まない脳の研究。
カーツワイルからこっちシンギュラリティっていうのは人工知能が人間に追いつく日ってことになっちゃっているみたい(シリコン知性との融合?)だが、肝心の脳と精神の解明ならんのに人工知能は製造可能なのだろうか。あるいは人工知能がそれを加速させる?
一方ヒトの意識はより深淵な高次元へと繋がっており、幽体離脱や臨死体験などでそれを垣間見ることができると考えている人もいる。幽霊好きな英国人らしい学説だ。
そもそも、脳とは記憶そのものである、という考えは分かり易い。外界からの刺激に応じてシナプス結合が形成されるこの有機ネットワークは経験を階層的なタイムスケールで並列に「記憶」する。記憶というのは刺激に対するニューロンをはじめとする分子のふるまいである。こうしたふるまいに対して脳内ホルモンなどのケミカルな文脈(喜怒哀楽)が添えられることを忘れてはならない。ヒトは「幸せ」に支配される。
どこかの人工知能に関するカンファレンスか何かで「人工知能は意識を持つか」といった議論のなかに『コンピュータの知性とヒトの魂は根本的に異なるもの、ヒトは(年老いて)死を意識するようになると世界を身近に感じ、やがてどこかに「還って」ゆくことを理解するのだ』という。ドラッグをキメるときそれを感じたのだとか(それってどーなのよ)。
世界にある「物」で構成された「私」が、死して再び「物」に還るという話は分からないでもない。そして記憶そのものである脳は、生物的な死を迎えるので「記憶」そのものは壊れてしまう、という事象は理解できる(あの世に思い出は持ってゆけない…)。ようするに、生命とは「脳」の上で「魂」をRUNさせるということなのだ。
シリコン知性の研究がヒトの脳に代わる人格構造体につながれば、あるいはそのうえで「魂」を実行させることもできるようになるだろうか(分子単位で実世界をエミュレートした中での有機部品としての「脳」という発想もあるがそういうのはロマンがないのでここでは置いておく)。
自身の記憶=ダイナミックニューロンケミカルネットを人格構造体として複製し、そいつに意識を集中する(「魂」をRUNさせる)と同調して人格構造体も自身の一部として制御できるようになる、とか。…やっぱり「魂」って唯一無二のものって思いたいじゃん。
密かに複製し盗み出した他人の人格構造体で「魂」を走らせその人に成りすます、とか、魂のもと=「気」のようなものを練って人格構造体で走らせて下僕にするとか。
あと魂が還ってゆく場所、どんなところなのだろう…あの世。その「あの世」と生前の識界との間にはさらに無数の世界があって…亡くなった人の想いが生み出す世界…世界が見る夢、みたいなのとか…嗚呼、今宵も妄想は果てない。
話は変わって変わって。
つい先日に、夏がやってきました的なことを書いたと思っていたのだけれど、あれからもう一年が経っちゃったのねやばいやばい。ホント月日の流れるは早いこと早いこと。
タイトルのヤガ―ばあさん。スラヴ民話っていうの?いわゆるロシア兵が口にする魔女のばあさんだ。ヴィジュアルは臼に乗って移動する鬼婆なのだが、「展覧会の絵」でバーバヤガって単語を初めて知った私の中では、ちょいとひねくれてはいるけど根は優しく正直者を助けるかっこいい魔女のイメージがある。先入観ってやつは怖いなぁ。
というわけで、”火吹き山の魔女”を描き直してみた。懐かしくなって”火吹き山の魔法使い”を探してみるも手元にはない。ソーサリー四部作とかもやりたくなってくるがこれも手元にはなし。…80年代ってホントああいう目新しいものが次から次に飛び出してくる不思議面白い時代でしたね。
ってググったらSteamにゲームがあった”火吹き山の魔法使い“これよくできてるなぁ。
ああ、早く私も人格構造体を手に入れて「幽霊」になりたい。