TILTOWAITO
今更ながら小型戦術核ですか!?と突っ込みたく(以下略)
たまの休みにFF4の続きをやろうとしたらそこは知らない村でした事件以来(要はストーリを忘れるぐらいインターバルが開いちゃう)コンシューマーゲーム機なんてやる時間ねー!と諦めていたRPGゲームたちだったが、この春にSteamを初めてまたちらほらとゲームをやるようになった。最近はエミュも進化してます!といわれてPSのゲームもPCでやってたりする(ゲーム機を箱から出してTVにつなぐという行為自体が億劫なのでなんでもPCでできるのは便利)。PSのリルガミンサーガなんかも存外楽しい。PSだけといわず、いっそのことROMリーダを買ってファミコンROMも吸いでしてしまおうかという気持にもなってしまう。
そもそも、こうした電子メディアこそネット上に集積され仮想マシン上で楽しめるようになればいいのに(コスト構造は当然必要だろうけど)、紙メディアよりは実現しやすいはずだし、電子メディアは物理的に絶滅する可能性が高い。プロジェクトEGGも頑張っているけれどいわゆる”マイコン時代”から”PC98全盛期”のゲームがSteamぐらい簡単に遊べるようになると便利(クラウド上に古今東西ありとあらゆる仮想ハードウェアを構築できる世界)。もちろん版権や著作権上の事情により今はむつかしいものもあるだろうけれど、例えば(例えばですよw)往年の美少女ゲームタイトルがゲハを維持しなくても遊べる環境というのは(夢見るガーンズバック)…ねえ。
レコードっていうのは結構象徴的な言葉だと思うん。
フィルムキャメラ、そういえば8ミリが流行った時代もあった。オープンリール、コンパクトカセットレコーダー、懐かしい。βやVHS、DATやMD、LDとか、いろんなものが僕たちの目の前を通過していったけれど、これらはすべてストレージ。
レコードや書籍もある意味コピーメディアで、原版、オリジナルとでもいうべき元の情報を複製して個人が所有する。個人が所有する意味は(細かくはいろいろとあるだろうけど)いつでもその情報を追体験することにある。オリジナルの入手性、すなわち、いつでもどこでも情報を追体験できるならば、なにも個人ごとに情報を複製して持つ必要はない。それこそ資源の無駄というものだ(レコード=複写に費やす時間と労力も含めて)。写真や音楽もそうだが書籍や映画、TV番組でさえもいまやクラウドに収められつつある。暗号下で膨大なデータの冗長化を防ぐ技術の実現もあればさらに加速するだろう。
さらに一つ進んで、芸術品、例えば時計とかファッションなんかでもいい(もちろんフィギュアでも)。こういうものもすべて製造にかかわるすべてを情報化してしまい、3Dプリンタの先にある万能工作機械を保有するインフラプラントで何時でも生産できるようにしてしまえばいいんじゃなかろうか。それこそ何年モデルとか、昔みたことがあるあの服とかをネットでぽちっとやったら、それが新品で生産されて送られてくる。
いまの世界にくらべて、数少ない複製を保有しておくという資産価値はほぼ消失してしまうだろう。(作り手と消費者の中間に位置する)そういう人たちの生業は今と同じような形では成り立たなくなるかもしれない。そういう時代だ。
今のGoogleストリートビューでは最新の画像だけでなく何年か前にさかのぼれるようになっている(いわゆる「タイムマシン機能」)。さらに進んで、収集する情報を莫大に増やし、その空間そのものを計算機で仮想的にシミュレートできる時代もくるかもしれない。ネットで仮想スパコンを借りて「ある時代」にタイムトラベルする、といったことがご家庭で実現…まぁご家庭で衛星写真を眺めるとか、子供のころは想像もできなかったので、案外そういう時代もすぐにやってくるのかも。
現実世界の量子化と利用者のビューからのレゾ(解像度)の制御(意識の集中しているところのレゾだけを上げ、他のレゾはおとすことで自然な最適制御を実現する)も重要だねッ!
などと、未来の世界を妄想してみた。
ああ、連休ももうすぐおしまいだねぇ。