Neuromancer
頭に思い描いたものを絵として描けると、なんだか脳内物質が分泌されるような気がする。
ブログ、なかなか更新できないけれど、ブログ絵が捗らないものその一因。特に彩色するとどうしても一日はつぶれてしまう。うーん、なんとかサクサク絵が描けるようにならないものだろうか。
某イラスト系SNSなどで、キャラや背景をみっちり描き込んでいる絵を見るとホントすごいって思う!うーん、何がすごいのだろう?一つは絵を描くという、その集中力に違いがあるのではないだろうか・・・そもそも集中力って何だろう?というわけで調べてみた。
『集中』という状態・・・通常、覚醒している間、脳の広範囲にわたっていろいろな部位が活動しており、周囲の情報に応じて即座に対処できる状態にある(動物的本質から考えると、周囲の変化に敏感に反応し行動できる状態というのは、生存の確率を高めるのに適しているといえる)。
一方、『集中』という状態においては、集中する(している)作業に必要な部位だけが活性化し、脳のその他の部位の活動が低下していることが実験により知られている。集中状態は、脳の機能を一点集中で活動させる現象、といえる。活性化している部位以外にはパワーが振り分けられていないのだから、集中状態では周囲の物事に気をとられない、というわけだ。こうした脳の活性部位の偏りをコントロールすることができれば集中力を高めた、といえるのではなかろうか。
集中現象への脳のスイッチングに”作業への熱中”というステップがある。手につけるまではだらだらと過ごしてしまうことも多いが、一旦やり始めると次第にその作業に興味が集まり始め、その作業に必要な部位が活性化しその他の部分が非活性状態に移行する。このとき前脳にある側坐核(NAcc)という部位が活性化し、腹側被蓋領域(VTA)のニューロンでドーパミンの放出が起こる。ドーパミン神経系はいわゆるA10神経系ともいわれる、欲求が満たされたとき(あるいは満たされることが分かったとき)に活性化する報酬系の神経系で、快の感覚をヒトに与えるもの。しだいに作業に熱中し、その作業が進捗するにつれて快の感覚が充足、その結果さらなる快の感覚という報酬を求め、さらに作業を続けるという仕組み。
ちなみに脳のさまざまな部位に機能が割り当てられているという考え(左脳、右脳とか言語野とか感覚野とか)を脳機能局在論というが、21世紀になっても脳の機能に関してはまだまだ解明されていない様子。脳機能局在論自体は銃社会と近代戦争によって脳の局所的損壊というサンプルが世にあふれ、その結果進んだ学問らしく、どうにも経験測の域を超えられていないと感じる。
コンピュータにたとえるならば電源の入っていないハードウェアをいくら丹念に調べても、(論理回路や半導体メモリやバスなどからは)動作中のソフトウェアの動きはわからないし、ましてそのソフトウェアが実際にどういうサービスを世の中に提供しているのかを理解することはできないだろう。それらは階層化されてそれぞれで次元の違いとでもいうべき概念を持っているのだし…などと、思っていたら、ニューロサイエンスの世界にもそういうアプローチが存在してた。
計算論的神経科学。脳を情報処理機械に見立てて脳の機能を調べるという科学で、一見前述したようなレイヤードなアプローチを持っているようだ。先駆者としてデビット・マーの名前もある。(パーセプトロンとか久しく耳にしていなかった単語だよ!)
分子レベル、細胞レベル、認知レベルといったそれぞれの階層で機能と構造に迫る、といったトップダウン的なやり方から始まったこの科学も、近年の急速な情報化により膨大なデータ蓄積とその解析というボトムアップ的なやり方が今はトレンド。
一昔前(といっても大学の研究室にいた頃はまだ始まったばかりだったのだが)にヒトゲノム計画というヒトの遺伝子の塩基対を解明するという計画とその研究分野としてゲノミクスなどという言葉があったが、ニューロサイエンスにもヒト・コネクトーム計画というのがある。
コネクトームというのは脳の中にある全シナプスの結合状態を地図のように全て解明した「脳の回路図」とでもいうべきもの。ハーバード大学には脳をりんごの皮むき器のように剥いて薄い切片(テープ)にしそれを撮影して神経接続の構造解析を行うATLUMと呼ばれる機械もある(ちょっとグロイ)。また、近年は拡散テンソル画像というMRIで得られる情報を解析した水分子のベクトルから神経線維の方向を解析する非破壊の解析技術もヒト・コネクトーム計画に一役買っている。
脳の解析データなどは、例えばマイクロソフトのお金持ちのヒトがシアトルに設立したアレン脳科学研究所などのHPに”アレン脳地図“として一部が公開されている。
ニューロサイエンスといえば、もうひとつ。Blue Brain プロジェクト。
スイスのローザンヌで開始された、人間の脳全体のコンピュータシミュレーションを分子レベルで構築することを目的としたプロジェクト。用いられるIBMのスパコンBlue Gene からその名前なのかな?と思われる。ちなみにBlue Geneは1997年にチェスの世界チャンピョンを任したスパコンDeep Blueの子供達だそう。
さすがに2000年を15年も過ぎてしまったわけで、脳に関するニューロサイエンスも多少は進歩しているみたい。
脳の構造が解明されれば記憶の仕組みを応用した新しい記憶素子などが登場したり、あるいはヒトの記憶を拡張できたりもするかもしれない。記憶や認識のメカニズムさえ解明されれば、fMRIや脳磁図などのセンシング(あるいはナノマシンによるケミカルモニタリング)から得られる膨大なデータとデータ処理技術を組み合わせることで”夢を録画“して文字通り再生することも可能となる。
また、ヒトの脳を完全にシュミレーションできるのなら、自分自身のたった今の脳の生きた状態をコンピュータ上で動作させることも可能だろう(ROM人格構造物かw)。未来のSNSでは魅力的なROM人格構造物を作り上げる職人が活躍し、さらにさまざまな場所、時代の仮想世界を作り上げる職人がUPしたステージで、架空のROM人格構造物といっしょに楽しい時間を過ごす、なんてことも流行っちゃうかもしれない。
そんなことになったらヒトのアイデンティティはどうなってしまうのだろうか?またこの時点でヒトレベルのAIも完成するわけで、事実上人間の手で作られた”人工意思”が誕生し人類が神の領域に突入するとともに新しい倫理観へのパラダイムシフトにせまられることになるだろう。
「楽園追放」の世界では、ヒトは既に電脳世界の中のデータ(遺伝情報を含む完全なヒトのデータ)として生きている。作中で主人公のアンジェラ・バルザックは電脳世界から物理世界へと赴くわけだがこの際に、3Dプリンタよろしく肉体が出力され、電脳世界から意識が転送される場面が描写されている。だれもが思わず”ああ、自分もはやく電脳化したい!“と思ってしまう瞬間だ。(!?)
しかし、気になるのは、自我というか、意識というか、心というものが情報的に移動可能であるとすればコピーも可能なわけで、果たして心をコピーすることでどんな現象が起きるのか、ということに触れている作品はあまり目にしない。心、魂の量産、ゴーストダビングは重罪だよ!なんて時代もそう遠くない未来かも。
ヒトの思考や心が肉体から解き放たれてデータの世界で機能するようになる、そんな研究の最先端で、まっさらなデータの世界にある日突如として出現する謎の”意思”、なんてちょっとしたSFのネタになりそう。