永劫とアール・ブリュット
震電は局地戦闘機、いわゆるインターセプターとして誕生した。いや正しくは誕生するはずだった。
拠点や都市を爆撃機から防衛するために出撃、ハイパワーにより短時間で高空に達し重火力で迎撃するという用途運用を前提とする。
エンテ型(ドイツ語で 鴨の意)のシルエットが独特だが、プッシュ式とすることで前方の武装を強力なものとし、同時にコンパクトにすることで低コストを実現するという当時の台所事情に適ったものといえる。試作後、量産に向けての準備も進んでいたが実戦に投入される前に終戦を迎えるという生い立ちからも戦後その神話化がすすむ。いわゆる「明日から本気出す子」なのだ。
夢や希望が詰まったままに実現されない「それ」は神話(実際に実現していたらすごかったはず)になる、という(ワナビー思想にも似た)ものの感じ方考え方って面白い。人は基本的に見たいモノが見たい生き物なのだ。そして「それ」が現実に存在しなくなってしまえば、その在り様は夢に、妄想になる。
子供の頃、近所に独り者の変わった人がいた。いや正しくは大人たちが変わり者と称していたというべきか。近所づきあいもなかったが、子供視点では、気さくな感じのする普通の人だった。ある日、その人は自分の庭であるものを造り始める。資材を持ち込み工具を使って毎日少しづつ造っていたもの。最初はそれがなにかわからなかったが、工程がすすみやがてそれが明らかになった。
それは「船」だった。
勿論船を浮かべるようなところは近所にはない。しかもその「船」を運び出せるような路もなかった。せせこましい住宅地の一角でその庭は道路に面していない。子供心にもまったく何がなんだか解らなかった。それは明らかに「船」であるのにその船は決して進水することはないのだろう。なのになぜその人はせっせと船造りにいそしんでいるのか・・・。
今は少しだけその決して進水することのない造船行為の意味がわかるような気がする。
子供の頃の記憶は曖昧だ。行方不明事件も”神隠し”にあった、ということで片付けられていた時代の話だし、その人がその後どうなったのか、近所迷惑なあの巨大な船がどうなったのか、後日談を思い出せないことは残念だ・・・いやむしろ後日談ないほうが神話化が進むのかもしれない。
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件の”現象脅威”と拮抗する「南の島」にも震電が残っている。レイゾンデードル開発黎明期にその思想をなぞるためにレストアされたものだ。電離推進が主流の時代、レシプロのアパッチや局地戦闘機も思考戦車で戦う少女達にとって自転車のような存在だ。アーデルハイドシンドロームの子供達は、ずば抜けた空間認識感覚と高度な運動伸張適応(乗り物を自在に乗りこなす適応力)を持つ、という妄想。