無限とよばれた点と点が再生する
右端は読みにくいので駄文で埋める。今日は紅葉狩りに行ってきた。何を狩るわけでもないんだけど。こんくらいかな。
先週の妄想にタイトルをつけてみた。題してサイカノ。なんとなくしっくりと来てない来もするけどタイトルがないと色々都合が悪いので(仮)とする。
新しいお話を考え出すといつもそうなんだけれど、ちょっとした時間があればその物語のシーンばかり妄想するようになる。ほら、音楽なんかで、ハマッた曲がずーっとアタマの中でループするってことありますよね。アレの妄想版。
都内のホテル暮らしっていう設定だから、今年の夏に出かけた東京の風景をソースにしていろんなシーンを妄想。隅田川沿いや石川島あたりの高層建築郡など。
最初は地下の工事現場みたいな広大な地下空間で行われる能力の特訓もそのうち、夜の屋外にて行われるようになる。最初はモノを動かすとか体を浮かべるとかそういう内容だったが、海水から真水を分離するとか、雨にぬれないで歩くとかそういう複雑な内容へと移行してゆく。
能力の基本は超認識、と説明する伏姫。
『そうだな、超能力は大別すると次二つの能力要素からなる。すなわち超感覚(ESP(Extra-sensory perception))と念力(PK(Psychokinesis))。
前者ESPは完全に受動的な能力だ。この”識る力”を空間的に用いると透視や千里眼、精神的に用いるとテレパシー、物質に用いるとサイコメトリーのような発現の仕方をする、能力としては同一のものなので単にわたしはコレをオーバーセンスとよんでいるのだが。
対して後者は完全なる能動的な力だ。直接的な因果を破る能力といってもいい。量子力学をかじったことがあるのなら因果律の危うさについては理解しているな。しかしわれわれの観測する階層:レイヤーの事象はおおむね「原因」と「結果」の連鎖から成り立っているわけだが、PKの能力は「結果」のみを唐突に生み出す力といえる。空間的に用いるとテレポート、情報として用いると例えば念写、物質に用いるとまあいわゆる漫画などでおなじみの念力、観念動力として発現する、こちらも単にオーバーキネシスとよぶことにするが。
要はこの二つの力の組み合わせなんだよすべて』
『…オーバーセンスが世界の見え方を変える。そして、キミにはもう識る(みえる)ハズだ』
高層ビルの上からみえる景色、唐突にその世界が姿を変える。景色に重なってありとあらゆる事象の情報が知覚できる。
『これがその世界”サイカノ”。……ようこそ、伏姫 鶫はキミを歓迎する』
ちなみに伏姫に拉致軟禁されてしまった男の生活はどうなったのだろうか。バイトや学校、友人や家族はどうなったのだろう。それはまたそのうちに。
二人目。次の能力者は読書好きな不思議系の女とか。そんな展開。
物語には世界としての制約はあるけれど、登場人物たちの能力には「力を使いすぎると使えなくなる」とか「力を使うためには○○が必要だ」などの制約は持たせない。といっても所詮は人間なのでご飯も食べるし夜になると眠くなってしまうっていうのはありです:-p。
何でも夢がかなっちゃうとしたらどうなるんだろう?超能力ではないけれど、例えば、宝くじで大金を当てちゃったりしたら?……実際には突如手にしたお金に振り回されちゃって、おかしくなっちゃうって話もよく聞く話。
本当にやりたいこと、生きる目的っていうのをもってたら、そんな大金が手に入っても、その目的のために使うだけーみたいな。そんな、ちゃんとした目的を持って生きているのってカッコいい!
お話として、能力の制約がないと、目的があっという間に達成されちゃうから、てところもご都合的にあるのかなーと思ったりもするけれど、だったら制約のない能力をもってしても簡単に達成できない目的っていうのを考えればいいのかもしれません、お話的に。
自由にスカートをめくりあげる程度の能力もいいですが、ファッションの流行を操る程度の能力が欲しいかも。短いスカートやフリルやツインテールを……
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地球に迫る幻魔と戦うための力なのか?そんな疑問を抱きながらその辺りをオマージュ(パク)して話を夢想。もともとは、ろりくーさんとの共同創作のなかで出てきた”能力の制約”っていう話題のなかで、”では、一切制約のない能力っていうのを物語にするならどうできるだろう?”っていうところと、ちら見した『曲がれ!スプーン』という映画の紹介を見て思いついたものだったりします。
あとは、最近ハマった『シュタインズ・ゲート』の影響かもw