神は内にいまし、全て世は事もなし

年末にメイドさんの絵を描き始め、いつの間にか年明けしているというのが最近のルーティーン。

おそうじですか?

もはや加速度的に年月が経過するようになり、目まぐるしい。仕事も含めて日々の生活に埋没しているような私の非日常性。
2023年も始まって仕事に終われる初夢を見、今年も「常在戦場」。いやいや、人生愉しまないと。

昔読んだSFショートショートにこんな話が。

『ある日突然、人が心に思っていることが聞こえるようになる。自分だけかと思ってたら、町の人全部、いや世界全体がお互いが思っていることが分かるようになってしまう。好きとか嫌いとか善し悪しも全部筒抜けになって世界は大混乱!思ってることがただ漏れで喧嘩や争いが勃発し・・・』

昨今のネット・SNS界隈では、「あのSFの世界が現実になって来たのかな」と、ちょっとだけ思う。ヒトという装置がINPUTを受けて「思ったこと」「感じたこと」をOPTPUTするまでの時間が変ってるわけじゃないけど、INPUTとOPTPUTの側が加速してる。・・・スマホ持ってない人が「心」読めない人みたいになってるの草。

変わりゆく世界を前にしてワクワクする一方で、昔がどういう世界だったのかを知るのも好きだったりする。子供のころは近所の年配の人に良く話しかける「変った子」だったらしい。

鬼籍に入って久しい、おばあちゃん。自分の昔話はしない人だったが、亡くなるちょっと前に、アルバムの整理をしながら珍しく昔の話を聞かせてくれた。
懐かしそうに取り上げた一枚の写真に、沢山の女学生と中央に先生だろうか、はかま姿の男性。よく見ると女生徒は日本刀を腕に当てたりして”平気!”みたいなどや顔だ。
気合術をならっていた、と祖母。刃を当ててるだけじゃすごさがわからないだろうから、と祖母が指さした先には、腕に鉄の棒を串刺しにした、顔立ちの整う一層目立つ少女。「これが、私」
ハイカラさんのような祖母の姿にただただ驚く。気合術は女学校で流行ってたらしい。戦前の日本・・・。
就職した祖母は広島から大阪に働きに出ており、週の頭に汽車で大阪まで出て週末に汽車で帰ってくる、という生活をしていたらしい。
大きな荷物を抱えてぎゅうぎゅうに客車に乗り延々半日機関車に揺られる。今では想像できない世界。祖父の話を聞いたことはない。いろいろ訳ありの様子。
母から聞いた話では、菩提寺が和歌山にあり墓じまいするために、菩提寺に行った際、大きなお屋敷の側に行き「ここで暮らせていたかもね」などと話していたらしい。
『ファミリーヒストリー』を見るたびに、うそでしょ!?そんなすごい話!みたいなエピソードが飛び出すが、案外100年ぐらい昔に遡ると誰しもの世界はドラマチックなのだ。

果して、自分の人生は未来からみて、ドラマチックなものになっているだろうか。年始だから、そんなこともぼんやりと考えてみる。
・・・例のショートショート、オチはどんなだったっけー。

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