怪物王女♪
創作として以前『怪物皇女』というのを考えていましたが、既に『怪物王女』というコミックがあるのを発見してしまいした。早速買って読んでみる。・・・む、むーむーむー、被りすぎ(笑)・・・4/30のブログはなかったことにしてください。てゆーかすれ!
というわけで、早速描いてみました。フランドルがフレームアウトしてますが、仕様です。”姫”わたしも下僕に加えてください~♪ このツン具合がたまらなくいい。”令裡さまがみてる”、とかしてたり。もちろんお勧めはしませんが。
さて、この『怪物王女』にはフランドルという人造人間が出てきます(上の絵で一番ちっこいの) フランドルというとすぐにベルギーは北部の地名を思い浮かべます。英語名のフランダースのほうが有名かもしれません。ベルギー生まれの人造人間なのかなって思ってしまいます。
あの有名な人造人間、フランケンシュタインの怪物は地方は定かではありませんが、原作が執筆された地がスイスはレマン湖のほとりであったということで、かの怪物もドイツやスイスあたりが生まれ故郷ということになるのでしょうか。
小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメシュース』は1816年にイギリスの小説家メアリ・シェリーによって書かれたゴシック小説です。
当時19歳(!)であった彼女は、だんなさまと駆け落ちしたのちスイスのレマン湖に滞在していたのですが、天候不順と長雨の影響で屋内で過ごす日々のなか退屈しのぎに皆で怪談小説を書いてみようという出来事がきっかけで誕生したというエピソードがあります。
当時のヨーロッパはフランス革命から20数年後、科学というものはまだ黎明期。筋肉に電気を流すとぴくりとうごくとか、そんな時代の物語だったわけで、そんなことを考えると感慨深いものがあります。
また、本作は現代SFの起源と称されることもありますね。こうした発想や物語が後々いろいろな人に連鎖や連想を喚起し、200年後の今にいまだ波紋しているという事実に思わず眩暈にも似た感動を禁じえません。
ちなみに、フランケンシュタインにはモデルとなる人物がいるようで、真偽のほどは定かではありませんが、18世紀スイスに実在し墓場などから臓器などを運び出しては日々人体実験を繰り返しそれを日記に残したといわれてます。
人体実験はともかく、私にとっても人造人間は子供の頃からの大きな夢の一つでした。私にとって機械やコンピュータあるいは遺伝子操作の産物たちは、ダーウィンの進化の鎖の外に存在する新しい人類の友達のように感じます。きっとそれは”宇宙人”なんかとは違って、歴史や文化を持たない、そして唐突に誕生した「存在」だからゆえ、身近に感じあるかのも(そうですよね?冬樹どの(笑))
『怪物王女』のフランドルは“ふが”としかしゃべってくれませんが、愛くるしく頼もしい「存在」です。このような人造人間とともに暮らせるような日がやってくるといいですね。(いいのか!?) えーと、そんな事を考えながらせっせと絵を描いてるうちに気がつくとサッカーを見逃してました。。。orz ●喰霊♪ というわけで土宮神楽さんです。(似てないけど)
退魔物というジャンルも大好きなのですが、化け物が出てくる性質上、どうしてもどろどろひゅーってなってしまうので、好みになるのにバランスが難しいですね。
例えば『低俗霊狩り』。すごく好きなのですが、ドロドロした愛憎欲色の割合が高くなってくるとダウンな感じになってしまうのが個人的にはちょっと。私自身が単純なので『火炎魔人』みたいに超越した展開が読んでいて爽快です。魔人VS魔人、人外の力を持ったもの同士が刃・拳を交えるというのがいい。
菊地秀行さんの『妖魔戦線』『魔界行』あたり、夢枕獏さんなら『サイコダイバー・シリーズ』が格好いいかな(エロイけど)。。
えーと、話しが逸れましたが、退魔物。妖怪に対して非力な人間が、知恵や知識を駆使して戦うお話し。たまに人間側も人外の力を持って闘う。 よくよく考えてみたら、神話や昔話は全部そういった物語。ドラゴン退治の話しなどはその典型的なものでしょうか。ドラゴン退治のお話しは暴れるモンスターを英雄的行為によって調伏しその証として聖なる印を手にするという韻を踏んでいます。八岐大蛇を退治して群雲の剣を手に入れたり、シークフリートも竜を倒してその返り血を浴び、不死身になります。
多くは、かつて人々を苦しめていた国や以前の体制などを打倒して新たに覇権を手にした後、みずからの正当性(簒奪者のそしりを免れるために)としてその証を打ちたてそれを流布するためにこういった神話、寓話が生まれたのだという説もあります。が、しかし、打ち倒したのが何者であれ、それだけの力を持った何者かが存在していたとかそういうのはなんだかわくわくしますね(しません?)
他にも、いわゆる妖怪やモンスターの類は、神と信仰の歴史の中で古い昔の神々が新しい神の出現によって悪魔や化け物に貶められたという話もあります。ドルイドが信仰していた精霊などは新しい神にとっては人々を惑わす悪魔でしかない。そこで、神父が悪魔(=古い神)にとり憑かれた人を救う(=回心させる)というエピソードが誕生する。 そういう意味では歴史はすなわち神々の戦いの歴史ともいえるのかもしれません。
さて、前述の作品は魔人の力を駆使して魔を狩るわけですが、その点『妖怪ハンター』はオーソドックス(?)な展開。民俗学者がその持つ知識や知恵で怪異に対峙し、人知を超えた世界を垣間見て解決する。読んだことないけど、『幽霊狩人カーナッキ』は同じ系譜の原点ともいえるのではないだろうか。(ホジスンは『夜の声』しか読んだことないけど。ラヴクラフトに少なからず影響を与えたというので、遡ってみました)また、九十九乱造の『闇狩り師』もすごく面白い。こちらは、主人公は”気”の力を操るなど知恵以外にも能力を持ってコトにあたる。やはり民俗学者ではヤクザや用心棒と渡り合うことはできないしね。 そして、こういう展開にたまらなく弱い私なのでした。いつか、こういうお話を描いてみたいなあ。(てゆーか描け!)
わわ、もう月曜日!一週間は早いですね~ ではでは~♪